2022.05.21 <30th ANNIVERSARY MUSEUM > complete!
1989-94
1989-94
1989
活動情報
リリース情報
ロンドンブーツ
エピソード
メンバー秘蔵写真
1990
1991
1992
1993
カセットテープ
1994
電飾
マリーの指輪
BELIEVER.の皆さん
からの投稿を掲載!
1995-99
1995-99
1995
1996
1997
1998
カセットテープ
記念アイテム
1999
バックステージ
パス
2000-15
2000-15
2000
2001
2004
2010
2012
2013
2016-20
2016-20
2016
2017
2018
2019
2020
ABOUT
30th ANNIVERSARY
MUSEUM
THE YELLOW MONKEYの30年間の歴史が詰まったミュージアムをファンの皆様と一緒に作り上げていく企画です。 ミュージアムにはTHE YELLOW MONKEYの活動の歴史や当時のレア写真、秘蔵エピソードなどに加え、BELIEVER.の皆様から寄せられたTHE YELLOW MONKEYにまつわる思い出の写真・エピソードを4つの年代に分けて展示していきます。
投稿した方全員にTYMS POINT3ポイントをプレゼント!
投稿いただいた皆様、ありがとうございました!
Romantist Taste
1992.5.21 Release 1st Single
- TRACK LIST
- 1 - Romantist Taste
- 2 - 不愉快な6番街へ(Unpleasant 6th Avenue)
アバンギャルドで行こうよ
1993.03.01 Release 2nd Single
- TRACK LIST
- 1 - アバンギャルドで行こうよ
- 2 - SUCK OF LIFE -original version-
熱帯夜
1994.7.21 Release 4th Single
- TRACK LIST
- 1 - 熱帯夜
- 2 - LOVERS ON BACKSTREET
- 3 - 熱帯夜<T.V.MIX>
Love Communication
1995.01.21 RELEASE 5th Single
- TRACK LIST
- 1 - Love Communication
- 2 - See-Saw Girl
- 3 - Love Communication(Instrumental)
嘆くなり我が夜のFantasy
1995.03.01 RELEASE 6th Single
- TRACK LIST
- 1 - 嘆くなり我が夜のFantasy
- 2 - 夜明けのスキャット
- 3 - 嘆くなり我が夜のFantasy(Instrumental)
追憶のマーメイド
1995.07.21 RELEASE 7th Single
- TRACK LIST
- 1 - 追憶のマーメイド
- 2 - アバンギャルドで行こうよ (Live Version)
- 3 - 追憶のマーメイド(Instrumental)
太陽が燃えている
1995.09.30 RELEASE 8th Single
- TRACK LIST
- 1 - 太陽が燃えている
- 2 - Sweet&Sweet
- 3 - 太陽が燃えている(Karaoke)
JAM/Tactics
1996.02.29 RELEASE 9th Single
- TRACK LIST
- 1 - JAM
- 2 - Tactics
- 3 - JAM(Karaoke)
- 4 - Tactics(Karaoke)
SPARK
1996.07.10 RELEASE 10th Single
- TRACK LIST
- 1 - SPARK
- 2 - MOONLIGHT DRIVE
- 3 - SPARK(TV-MIX)
LOVE LOVE SHOW
1997.04.19 RELEASE 12th Single
- TRACK LIST
- 1 - LOVE LOVE SHOW
- 2 - NAI
- 3 - LOVE LOVE SHOW(Instrumental)
BURN
1997.07.24 RELEASE 13th Single
- TRACK LIST
- 1 - BURN
- 2 - LOVE LOVE SHOW(English Version)
- 3 - BURN(Instrumental)
離れるな
1998.06.03 RELEASE 15th Single
- TRACK LIST
- 1 - 離れるな
- 2 - ゴージャス
- 3 - 離れるな(Instrumental)
SUGAR FIX
1998.08.21 RELEASE 16th Single
- TRACK LIST
- 1 - SUGAR FIX
- 2 - BULB
- 3 - 見して 見して
- 4 - パンチドランカー(Live) ※ Bonus Track
MY WINDING ROAD
1998.10.21 RELEASE 17th Single
- TRACK LIST
- 1 - MY WINDING ROAD
- 2 - O.K.
- 3 - MY WINDING ROAD(Instrumental)
SO YOUNG
1999.03.03 RELEASE 18th Single
- TRACK LIST
- 1 - SO YOUNG
- 2 - NEW YORK CITY LOSER
- 3 - SO YOUNG (Instrumental)
バラ色の日々
1999.12.08 RELEASE 19th Single
- TRACK LIST
- 1 - バラ色の日々
- 2 - HEART BREAK
- 3 - バラ色の日々 -RAM JAM WORLD REMIX-
聖なる海とサンシャイン
2000.01.26 RELEASE 20th Single
- TRACK LIST
- 1 - 聖なる海とサンシャイン
- 2 - 聖なる海とサンシャイン -Suspend Minnew Version- Remixed by KAZUYA YOSHII
- 3 - 聖なる海とサンシャイン -Sunshine- Remixed by GOTA YASHIKI
- 4 - 聖なる海とサンシャイン -Sunnyside of winter mix- Remixed by JUN ISOMURA
- 5 - 聖なる海とサンシャイン -jaz raser drive mix- Remixed by REIJI KITAZATO
SHOCK HEARTS
2000.04.05 RELEASE 21th Single
- TRACK LIST
- 1 - SHOCK HEARTS
- 2 - DEAR FEELING
- 3 - SHOCK HEARTS(Karaoke)
パール
2000.07.12 RELEASE 22th Single
- TRACK LIST
- 1 - パール
- 2 - STONE BUTTERFLY
- 3 - サイキックNo.9(Live)
- 4 - パール(Karaoke)
BRILLIANT WORLD
2000.11.01 RELEASE 23th Single
- TRACK LIST
- 1 - BRILLIANT WORLD
- 2 - GIRLIE(Original Mix)
- 3 - メロメ(Demo)
- 4 - BRILLIANT WORLD(Karaoke)
プライマル。
2001.01.31 RELEASE 24th Single
- TRACK LIST
- 1 - プライマル。
- 2 - ネバーギブアップ
- 3 - プライマル。(Karaoke)
- 4 - ネバーギブアップ(Karaoke)
Romantist Taste 2012
2012.10.10 RELEASE 25th Single
- TRACK LIST
- 1 - Romantist Taste 2012
- 2 - SPARK
- 3 - Four Seasons
- 4 - 熱帯夜
- 5 - ROCK STAR
- 6 - 嘆くなり我が夜のFantasy
- 7 - 太陽が燃えている
- 8 - Love Communication
- 9 - JAM
- 10 - This Is For You
- 11 - 悲しきASIAN BOY
- 12 - Father
- 13 - 空の青と本当の気持ち
砂の塔
2016.10.19 RELEASE 25th Single
- TRACK LIST
- 1 - 砂の塔
- 2 - ALRIGHT
- 【初回限定盤】
初回盤収録曲 - 1 - 砂の塔
- 2 - ALRIGHT
- Bonus LIVE Track
- 3 - プライマル。 ‒東京・国立代々木競技場 第一体育館‒
- 4 - SPARK ‒長野・ビッグハット‒
- 5 - バラ色の日々 ‒広島・広島グリーンアリーナ‒
- 6 - BURN ‒宮城・セキスイハイムスーパーアリーナ‒
- 7 - 楽園 ‒愛知・日本ガイシホール‒
- 8 - WELCOME TO MY DOGHOUSE ‒大阪・大阪城ホール‒
- 9 - 花吹雪 ‒埼玉・さいたまスーパーアリーナ‒
- 10 - BRILLIANT WORLD ‒福岡・マリンメッセ福岡‒
- 11 - 球根 ‒兵庫・神戸ワールド記念ホール‒
- 12 - TVのシンガー ‒神奈川・横浜アリーナ‒
- 13 - パール ‒福島・あづま総合体育館‒
- 14 - カナリヤ ‒北海道・真駒内セキスイハイムアイスアリーナ‒
- 【通常盤】
通常盤収録曲 - 1 - 砂の塔
- 2 - ALRIGHT
- 3 - 砂の塔 -Instrumental-
- 4 - ALRIGHT -Instrumental-
- 【FC限定盤】
DVD収録曲 - 9月1日熊本ライブハウス公演の模様を特別編集にて5曲収録
- 1 - 熱帯夜
- 2 - Chelsea Girl
- 3 - パール
- 4 - LOVE LOVE SHOW
- 5 - 悲しきASIAN BOY
ZIGGY STARDUST
2017.09.13 RELEASE
- TRACK LIST
- 1 - ZIGGY STARDUST
DANDAN
2019.10.30 RELEASE
- TRACK LIST
- 1 - DANDAN
未来はみないで
2020.03.13 RELEASE
- TRACK LIST
- 1 - 未来はみないで
smile
1995.02.01 RELEASE 4th Album
- TRACK LIST
- 1 - Smile
- 2 - マリーにくちづけ
- 3 - Love Communication
- 4 - サイケデリック・ブルー
- 5 - See-Saw Girl
- 6 - 争いの街
- 7 - エデンの夜に
- 8 - イエ・イエ・コスメティック・ラヴ
- 9 - ヴィーナスの花
- 10 - “I”
- 11 - Hard Rain
- 12 - 嘆くなり我が夜のFantasy
- 13 - 熱帯夜
FOUR SEASONS
1995.11.01 RELEASE 5th Album
- TRACK LIST
- 1 - Four Seasons
- 2 - Overture~太陽が燃えている
- 3 - I Love You Baby
- 4 - Tactics
- 5 - ピリオドの雨
- 6 - Love Sauce
- 7 - Sweet&Sweet
- 8 - 月の歌
- 9 - 追憶のマーメイド (Album Version)
- 10 - Father
- 11 - 空の青と本当の気持ち
SICKS
1997.01.22 RELEASE 6th Album
- TRACK LIST
- 1 - RAINBOW MAN
- 2 - I CAN BE SHIT,MAMA
- 3 - 楽園
- 4 - TVのシンガー
- 5 - 紫の空
- 6 - 薬局へ行こうよ
- 7 - 天国旅行
- 8 - 創生児
- 9 - HOTEL宇宙船
- 10 - 花吹雪
- 11 - 淡い心だって言ってたよ
- 12 - 見てないようで見てる
- 13 - 人生の終わり (FOR GRANDMOTHER)
PUNCH DRUNKARD
1998.03.04 RELEASE 7th Album
- TRACK LIST
- 1 - パンチドランカー
- 2 - 球根
- 3 - 間違いねえな
- 4 - ゴージャス
- 5 - 見して 見して
- 6 - クズ社会の赤いバラ
- 7 - セックスレスデス
- 8 - エヴリデイ
- 9 - SEA
- 10 - BURN(Album Version)
- 11 - 甘い経験
- 12 - 離れるな
- 13 - LOVE LOVE SHOW (Album Version)
8
2000.07.26 RELEASE 8th Album
- TRACK LIST
- 1 - ジュディ
- 2 - サイキックNo.9
- 3 - GIRLIE
- 4 - DEAR FEELING
- 5 - HEART BREAK
- 6 - 人類最後の日
- 7 - SHOCK HEARTS
- 8 - 聖なる海とサンシャイン
- 9 - カナリヤ
- 10 - パール
- 11 - STONE BUTTERFLY
- 12 - メロメ
- 13 - バラ色の日々
- 14 - 峠
9999
2019.04.17 RELEASE 9th Album
- TRACK LIST
- 1 - この恋のかけら
- 2 - 天道虫
- 3 - Love Homme
- 4 - Stars (9999 Version)
- 5 - Breaking The Hide
- 6 - ロザーナ
- 7 - Changes Far Away
- 8 - 砂の塔
- 9 - Balloon Balloon
- 10 - Horizon
- 11 - Titta Titta
- 12 - ALRIGHT
- 13 - I don't know
1989-94
BELIEVER. COMMENTS
シュガー
「熱帯夜」で THE YELLOW MONKEYと出会い、一瞬で蟻地獄に落ちた私。過去の作品を徐々に手にいれ、その世界観に魅了され、ズブズブとはまっていきましたが、当時、唯一手に入れることができなかったのが、インディーズ盤「Bunched Birth」でした。遠方に住むファン友達がプレゼントしてくれた「Bunched Birth」のカセットテープ!96年に再発されるまで、このカセットは本当に私の宝物であり続けました。当時は、各地のライブ会場で仲良くなった方と住所を交換して文通していました。優しいお姉さんばかりでした!ありがとうございました。
どなてろ
94年夏、私は熱帯夜でイエローモンキーに出会い、心を奪われました。 そこからCDやビデオを買い揃え雑誌を読んだりもしましたがもっと知りたいと当時のファンクラブPetticoat Laneに入会しました。 確か当時はファンクラブの会費を郵便局の窓口からしか振り込むことが出来ず、学校帰りにワクワクしながら郵便局に駆け込んだことを覚えています。 イエローモンキーの曲を聞きながら勉強し、受かったら絶対ライブに行くんだ!と頑張った日々。懐かしいなぁー。
たんめぐ
ラママ時代のフライヤー2
しぴ
当時、まだまだお子ちゃまでした。 ライブに行けない私に、ファンのお姉さまが譲ってくださったチラシです。 今でも大切に大切にさせて頂いています。
たんめぐ
ラママ時代のフライヤー
Kana★
私の記念すべきThe yellow monkey初ライヴチケットです。出会いはこの2年ほど前なのですが。初singleの番宣で見たと思います。その時は怖くて(笑)悲しきASIAN BOYでファンになったのですが、しばらく気づきませんでした。 実は小中高と宝塚歌劇団やミュージカルにどっぷりだったため、The yellow monkeyがほぼ初めてのROCK体験。当時のジャガーハードペインは演劇性も強く特に惹き付けられたのかもしれません。まんまと蟻地獄に引きずり込まれ早四半世紀以上…。活動休止、解散、再集結と色々ありましたが、いつどんな時も貴方達は私の憧れのROCKSTARです。
シン
1994年のジャガーのCDです。紙のBOXは初回限定盤の証です。存在自体知らない人も多いでしょうね。わたしは50手前の男ですが予約して購入し中のアンケートハガキも書いて出しました。この年のジャガーライブ3部作は今だに忘れられません。すべてに参加できたのが誇りです。夏の大阪のライブは確か熱帯夜の発売日だったと記憶してます。princeというアーチスト(まさか知らない人いる?)の熱狂的なファンを連れていったのですが、シルクスカーフを聴いて、まるでpurple rainだと絶賛してました。ラストのmerry x'masやライブ後の武道館の告知、鳴り止まない拍手でしたね。
フモコ
初めて観たモンキーのライブは日本青年館でした。あまりに衝撃的、あまりにカッチョ良く、それまでの自分の音楽の趣味嗜好を180°ひっくり返されました。 この日からもう25年以上。イエローモンキーの存在は私にとって必要不可欠です。 今はスマホがチケット代わりの世の中ですが、昔はこうしてファイリングして、裏面にその日のセットリストと感想を手書きしてました。
takatae
何年に買ったか記憶が定かではないのですが、ラメとGreen Carnationのタグがお気に入りで大事に保管してます。こんな細身のTシャツを着ていた昔の自分にオドロキです。次のライブにはこれを着ていけるように頑張ります!
まーがれっと
私のザ・イエロー・モンキー 初ライブ。真っ白なスーツを着たジャガーが眩しかったです。
まーがれっと
1993年。当時高校生だった私は、渋谷の山野楽器でこのフライヤーを手にし、ザ・イエロー・モンキーに出会いました。ファンクラブの会報や特典下敷きなど数々のグッズは、実家の引越しの際に、なくなく処分しましたが、このフライヤーだけは捨てられず、今も大切に保管しています。
メインマン
1993年2月頃、文化放送『TOKYO LIVE MIX』の番組プレゼントで当選したサイン入りTシャツです! 飛ぶ鳥を食べる勢いでビッグになったTHE YELLOW MONKEYがサインしたTシャツのサイズもビッグでした。
さあ
「1992年大打ち上げ!! SECRET MUSICIAN'S PARTY」 このイベントで初めてTHE YELLOW MONKEYを見ました。 この時の演奏は勢い!って感じだったけど直に聴いたヒーセとアニーの音はかっこよく衝撃的で 1993年からは、THE YELLOW MONKEYのLIVE中心の生活になりました。
フジタマ
THE YELLOW MONKEY 30周年おめでとうございます。こんな素晴らしいアニバーサリーに立ち会えて嬉しいです(^^) 初めて見たTHE YELLOW MONKEYは、今から27年前の真夏のマガジンバトル、2度めは大晦日のTVKのイベントでした。実はどちらの時も違うバンド推しで行ってました。いやゴメン(><;) 私がイエローモンキーにハマるのはもう何年か後。この2回のライブの事はあまり覚えてなくて残念(><) マガジンバトルの時は出演者みんなで『Route66』やったよね~、とか、大晦日の時はもうジャガーの演出でロビンももう坊主だったっけ~(合ってる?)ぐらいかな?あぁ勿体無い(><)
yumi
THEが無かったり、複数形だったり~。チケット代1,000円!
acokawata
1993年3月26日イエローモンキーのアコースティックライヴ・長崎。チケットを大切に保管しています。 15歳の私には大人の嗜みの様なライヴで。私はココに居てイイんだろうかってドキドキしました。吉井さんの時折見せる鋭い眼光と少年の様な笑顔。割りと前の席に座っていたので、目が合ったらどうしようと、合いそうな危険を感じたら合いそうに無いアニーを見ていました。ドナやディスイズフォーユーを心地良く聞きながらも、彼等に何故か自分の知られたくない部分を知られている様な。何故か聞いていて恥ずかしい気分になった事を覚えています。若い時は感受性が豊かなんですね。15歳でこのライブに足を運んでくれた自分に感謝です
joe
バンチドバース発売記念ツアーのアンケートです。今はこういうアンケート見かけなくなりましたが当時はどのアーティストのライブでもアンケートを配っていました。 内容はイエローモンキーならでは?ですね。
シュガー
THE YELLOW MONKEYというバンド名をさらに特別なものにした作品がメジャー3枚目のアルバム「jaguar hard pain」。前作に登場したMaryとの物語の展開がしびれます。Jaguarによる直筆のサイン色紙は私の宝物です。額装していましたが、撮影のため取り出し、「I shall return」パンフと組み合わせて撮影しました。魂は永遠。命燃やせと教えてもらった作品です。
joe
89年から92年ぐらいのチケットをピックアップしました。半券がちぎられていなかったり、バンド名の表記など今では考えられない間違いがあったりして、当時のゆるい感じを思い出します。
joe
90年ごろのフライヤーで、手元に残っている中でおそらく一番古いものです。 まだROBIN表記ですね。
魔法の矢
1993年9月5日、 初めてTHE YELLOW MONKEYのライブに行きました。 生で観るメンバーはめちゃくちゃカッコよくて、あの時の衝撃は忘れることが出来ません。 参加したライブのチケットは全て残していますが、特にこの日のチケットは大切な1枚です。
EMARINE
伝説のライブ!行けなかった私はライブビデオが出てすぐ購入して擦り切れるほど毎日観ました。時は流れDVD化されてまた購入。クリアな映像の臨場感に感激して更に何十回も観ました。そして休止中に出たライブDVDBOX。そうです!同じライブを3本持っているのはこの“追憶の銀幕“だけ。全部が大好きだけど、特にお気に入りのシーンは“Romantist taste“のエンディングでエマの背中にそっと手を添えるロビン♪
papermoon
1993年当時、ロビンさんがラジオパーソナリティをしていた際「リスナーのお父さんにもイエローモンキーの曲が評判いいみたいで…」と嬉々としてお話しされていたのを聴いた私は、父を大阪への遠征ライブに誘ってみたのでした。ロックなど聴いた事のない父(当時還暦)でしたが、意外にもOKの返事。 ライブ当日、飛ぶ鳥を落とす勢いのイエローモンキーに会場は大盛上がり! 父も「いい体験が出来た」と楽しんでくれたようでした。 ライブ後に食べたしゃぶしゃぶも格別だったのを憶えています(笑。 思えば、後にも先にも二人での旅行はこの遠征ライブだけだったなぁ~と、今もこのチケットを見るとしみじみしてしまうのです。
とーこ
学祭のチケットと NACK5の深夜ラジオ番組 オンエアリスト 名言 画伯のコーナーなど 盛りだくさんのFAXも 楽しみでした
applestar
1992年5月21日にデビューが決まり、 それに伴い皆でリクエストしようって感じで貰った電リク専用のテレホンカード。 これは大阪のFMラジオ局宛て専用のリクエスト用テレホンカードなんですが、勿体なくて使えなかった私w 今はスマホが普及してるけど、当時はまだ公衆電話が主流でした。時代を感じますね~w
applestar
1992年1月、モンキーのライブに行き始めてからアンケートを書くことがあり、それを書いてからマメにライブやお知らせがある毎にDMが送られてきて、とても嬉しかったです。当時はインディーズで地道にコツコツとマメにDMを送ってくれるバンドってあったかなぁ~と感じた私。そうゆう所にもバンドに対する想いとか惹かれた次第。今とは雰囲気は違うけど、当時は尖ってましたねw1992年にデビューが決まったとお知らせが届いた時は嬉しくて涙しました!
applestar
初めてのThe Yellow Monkeyとの出会いは、私が大阪で就職して2年目の1991年かな。会社の先輩の彼氏がバンドマンで、大阪vs東京の対バンがあるから観に行く?って誘われて行ったら、衝撃的な出会いでした!!モンキーが演奏した瞬間、心臓に衝撃的な打撃を受けました!何このバンド!音もメンバーも調和も凄く良いんだけど!って感じで。直ぐに虜になり、インディーズでalbum発売したからってCDを即買いしてメンバー全員のサインが欲しかったけど、皆楽屋に直ぐ戻って行ったのか姿が見えずロビンをやっと見つけて勇気振り絞ってもらったサインがこれです。今とは大分変わりましたねw宝物です♪
NOBUYA
初めて観たライブ映像です。テープはもちろん、ポスターも保管してます。今なら絶対にできないオープニングや演出。吉井さんの赤いコートにサングラス。色々な意味で衝撃を受けました。「ライムライトの光を浴びて………」と仕事中に口ずさんだら、同僚に怖いと言われました(^_^;)
ムー子
日清パワーステーションで見た、ロビンの自転車柄衣装に驚愕!! 友達とどよめきましたが、後にも先にもこの柄のスーツが似合う男性はロビンしかいないと確信! 30年弱の時を経た今、20歳になる娘が、どうぶつの森内で私にプレゼントしてくれました。
ムー子
初めてTHE YELLOW MONKEYを見たのはこのビデオ。 La.mamaに出ているグラム系バンドはだいたいライブを見ていました。 が、なぜかモンキーだけちょっと苦手で(本当にごめんなさい)、演奏がすごく上手だなぁ!!と思いながらもLa.mamaの狭いトイレでモンキーのライブを聴くことになる。 そんな事が続いたある日… 「あれ?モンキーってめちゃくちゃかっこよくない!?」と気づきトイレから出るようになる。そしてどっぷり。 ロンドンブーツナイトの時に高身長の彼らがヒール20cmはあろうかというロンブーを履いて花道を歩いて来るのは圧巻! ファンもこの日はロンブー履いて来る人多数でしたね♪
t−m
94’に初めて札幌のペニーレイン24で見た時、今まで見てきたバンドとは違って。ライブ中にエマさんと目があった時すごくドキドキして。また音楽、ライブが楽しいよと教えてくれるバンドに出逢えた事が嬉しかった。
ゆかりんりん
ファンクラブで「新年お年玉プレゼント」があり、アニーさんの「スネアヘッドが欲しい!」と思いダメもとで応募しました。 会報に自分の会員番号を見つけた時は 信じられず、びっくりしました。25年経った 今も大事な大事な家宝です!
パンチドラブ
出会いはスペースシャワーTVが我が家で視聴できるようになりどハマりしていた1994年、悲しきASIANBOYのビデオクリップでした。 坊主頭のvocalの人の目力が強烈で衣装やセットも印象的、ポップでメロディアスな曲調に引き込まれ見入ってしまい最後の鼻血の演出でこ、この人何者…と完全に心を持っていかれました!
しぴ
まだまだライブに行けなかった義務教育時代。そんな私に、熱心にライブに通われていたお姉さまが譲ってくださったものです。 95年までのチラシの裏には、メンバーのプロフィール等が載っていて、今読むと微笑ましいです。
いちじく
1993年、私はTHE YELLOW MONKEYと出会った。ローカル音楽番組で初めて『悲しきASIAN BOY』のMVを見た衝撃は今も忘れられない。心を一瞬にして奪われるとはこういう事を言うのだと思う。
shinjitu
初期のTHE YELLOW MONKEYの集大成といえば、なんといっても「JAGUAR HARD PAIN」。 このコンセプトアルバムを世に送り出してしまう、アングラ感を抱えているバンドがただただ凄いなと驚嘆しました!
lovinlovin
1992年の明治学院大学の学園祭でのライブが印象的で、lovinが紫の長いコートを着ていたのをすごく覚えています。昼のグラウンドみたいなところで、日常の空間で、あの独特な非日常感。28年経っても脳裏に色褪せなく残っています。写真があれば見てみたいです。。 デビュー後間もない時期の妖艶な感じ大好きでした。でも大人になっても素敵でカッコイイTHE YELLOW MONKEY に出会えたこと、今もまたライブに行けること、本当に幸せです!!
Sam
1993年の中野サンプラザ公演。照明がついたとたんに目に飛び込んできたのは、まるで万里の長城のごとくステージ狭しと積み上げられたマーシャルとアンペグの壁。東京中のマーシャルとアンペグを集めてきたんじゃないの?と友人たちと笑ってしまいましたが...すぐ前の列にいた顔見知りのお姉さまから「あんたたち、何を笑ってんの!ちゃんと応援しなさい!」とお叱りを受けました。最近は自分自身がすっかりお姉さんになり、誰かに叱られることもなくなって久しいので、今となっては懐かしい思い出です。
むらっち
THE YELLOW MONKEYを聴き始めたのが小学生の時で2nd Album「未公開のエクスペリエンス・ムービー」に収録されている「シルクスカーフに帽子のマダム」を初めて聴いた時、とても不思議な感覚に包まれました。優しいような切ないような、様々な感情を一気に感じたあの瞬間は今でも忘れません。 3rd Album「jaguar hard pain 1944-1994」を初めて聴いたのも小学生の時なのですが、「SECOND CRY」から始まるこのアルバムは当時、何回も聴きました。
まるり
猛暑だった94年。野音での「つわものどもの熱帯夜」。 友達に誘われて初めて行ったイエローモンキーのライブです。 LOVINの「イエローモンキー全て見せます」から、ライブが進むにつれ魅了されました。
ハッピーターン
中学を卒業して高校入学までの一番ふわふわした春。ラジオから流れてきた「悲しきASIAN BOY」に衝撃を受けました。その独特の世界観にハマり、「jaguar hard pain」を何度も聴いてました。当時、優等生キャラだった私。なんだかファンだと公言できず、靴箱のロッカーの裏側にこっそりYELLOW MONKEYのステッカーを貼ってました(ちなみに表側には小沢健二のステッカーを貼ってました・・)。
爆笑婦麗奈
地元のローカル音楽番組のPVで『Romantic Taste』を見た時の衝撃は死んでも忘れられないと思います。 こんな綺麗な人がいて曲も歌詞も声もドキドキして見てバンド名を忘れてしまいました。この頃私は、結婚したばかりでその上極貧生活CDを買うこともレンタルするお金もありましんでした。1994年までラジオで流れるイエモンの曲を心臓が止まるくらい切なく泣きながら聴いていました。ラジオでTHE YELLOW MONKEYのバンド名を知り、vocalはなんて名前の人だろう?という私の切ないファン歴です。(続く)
かんかん11
1993年、私が高校2年の時に、マニアックな音楽が好きな友達から『the yellow monkeyっていうめっちゃめちゃいいバンドがいるんだけど、monkeyって変な名前やけど曲聞いてみて!』と2ndアルバムを貸してくれたのが私とthe yellow monkeyとの出会いでした。しかし、当時はピンとこなくて記憶の片隅に消えたのですが、 その2年後、再び別の友人から勧められてどハマりすることとなり、私とthe yellow monkeyが出会う神仕組みが発動することとなりました。
MORI
12月27日中野サンプラザ。当日券、立ち見。最愛のジャガーのラストを観ることが出来ました。 最後にsmileの音源が流され武道館ライブ決定に歓喜したことは、一生忘れません。
MORI
12月16日 宇都宮文化会館小ホールは私にとってイエローモンキー ライブ初体験。ヤバすぎる…こんなバンドは他にはない!! 度肝を抜かれました。もう、戻れない… 友達はみんな受験で忙しい時期、推薦で高校が決まっていた私はイエローモンキーにどっぷりハマりました。
pon
1994年、「熱帯夜」で、THE YELLOW MONKEYに出逢いました。あの衝撃は、忘れません。出逢えて良かった。あれから、ずっとTHE YELLOW MONKEYが、大好きなまま、今も、大好きです。好きでいさせてくれて、ありがとう!
★okuboN★
THE YELLOW MONKEYを愛するきっかけとなったのは、本日還暦を迎えた戸城憲夫氏の雑誌のインタビューの一言でした。 『友達のバンドがデビューする事になったので、ヨロシク!』 ライブアンケートでもよく書いていました。 そのインタビューが載っていたと記憶する音楽雑誌を探したところ、1992年8月号のロッキンfにそれらしきアンケートが……! 当時、イエローモンキー=アーグポリスの人+ムルバスと16レッグスの人+キラーメイの兄弟、という何となくの認識でした。 まさか、レンタルCD屋さんで借りたデビューアルバムの衝撃で、一生を捧げる事になろうとは思ってもいませんでした。
ミニゴリラ
「これ最近気に入っとんじゃ。えぇじゃろ♪」大好きだった元彼が、彼の初の愛車で熱帯夜を聴かせてくれました。なかなか抜けない岡山弁で❤ お互い山陽地方から親元を離れ、大阪圏で楽しみながらも悪戦苦闘の1年目に私は彼と1st kiss…このドライブ時は既に破局してたのですが、なんとなく良い距離感を保つ事になり今でもお互いのお誕生日にラインし合う仲です。
Yuki-TYM
ロック大好きな友達の影響でミュートマジャパンを見るのが高校生の時からの習慣で、、「TVKまたアクの強い凄い人たち見つけてきたなぁ!!」って思ってみていたのがTHE YELLOW MONKEYでした!特には気にかけていた訳では無いのに(笑)曲がスーッと私の中に入りこんでいました!気付いたら人生の半分以上THE YELLOW MONKEYと共に生きています! THE YELLOW MONKEY is My Life!!
Sam
1991年12月31日。イエローモンキーのインディーズ最後のライブ。あの日は年越しイベントだったので、いくつものバンドが出てにぎやかでした。チケットには年越しそば引換券がついていて、モンキーのライブの後、今は木製ベンチになっている場所にあったソファで友人たちと食べました。発泡スチロールの容器に入ったおそばは、かまぼこ・揚げ玉・ワカメ・青ネギがのっていました。決して上等ではなかったけど、人生で一番おいしい年越しそばだったかもしれない。あの夜のチェルシーガールと一緒に、きっと一生忘れられない思い出です。
Sam
1991年12月28日のロンブーナイト。あの日あの場所にいられたことが、その後どれだけ力になったことか。今でも時々思い出します。
ののちゃん
これしか残ってないので間違ってるかもしれませんが、1994年末あたりの、ライブY のイベントだったと思います。吉井さんが沢田研二の歌を歌って客席があまり反応がなく、「みんな知らないの!?」とおっしゃってたような…。 同世代の私は、感激して一緒に歌ってました。 ライブYは最強の番組でした。
ユリリィ
1994年 エフエム仙台から流れてきた “さくらいろのくちびる” “ザイエローモンキー” に心を射抜かれました。 『悲しきASIAN BOY』 ここが私の始まりです。
Sam
1990年からLa.mamaに通っていました。カッコつけたいお年頃で、普段は出待ちなんかしなかったのですが、その夜は友人が店内に忘れ物をして取りに戻っていたので、なんとなく外にいたらヒーセさんが出ていらして。。そりゃそうなれば、握手してもらおうとなりますよね。しかもその時、すぐそばを白いワゴン車が短いクラクションとともに通り過ぎて行きました。「エマさんとアニーさんですか?」「そうそう、八王子まで運転してくんだよ。あんなに細いのにタフなんだよなあ。応援してやってね~」...はい!それはもうすでに!とは、まだ若かった私には言えませんでした。ははは。
まぁや
ザイエローモンキーとの出会い、それは「面白いバンドがあるよ」とデビッドボウイ好きの彼と「悲しきASIAN BOY」のMVを見たことから。坊主、MVのアングル、バンド名、ASIANBOY…全てに虜になりました。あれからずっと夫婦で大好きです
シュガー
THE YELLOW MONKEYとの出会いの曲、「熱帯夜」。当時、某TV番組をたまたま観ていたら、カッコいい音とどこか懐かしい曲調が流れてきて、思わず目をやると、トカゲのような男性が怪しい動きをしながらねちっこく歌っていました。それなのに一瞬で虜に。こんな体験は初めてでした。
ACDマリア
ジャガーの最終日。私は、中野サンプラザと、同じ町内に住んでいました。ライブ前に、ちょうど「イカスミパン」が、流行っていたので、そのパンを買いイカスミパンを持って、会場に入りました。ロッカーの場所がわからず、座席までイカスミパンを、持って行きました。カバンから、やたら長いしかも少し透明の袋に入っていて、真っ黒い長いフランスパンが、妙に目立ち恥ずかしかったのを、覚えています。回りには、イカスミの妙な香りが漂っていました。でも、ライブは本当に楽しみました。武道館公演が決まった日。イカスミパンと共に、忘れられない思い出です。
戸田のまくり
CDを聴くにもまだ、プレイヤーが高い時代でした。イエモンにハマって、重低音のスピーカーにも拘りたく、お金を必死に貯め、CDダブルラジカセからCDコンポを購入。その時、安いFMラジオが聴けるポータブルラジオもあったのですが、吉井和哉のミッドナイトロックシティを聴くために、FMラジオチューナー付きのCDコンポを買ったのが個人的思い出です。また、ミッドナイトロックシティに吉井さんが月曜日の時代は、寝不足で火曜日に学校に行ってました。吉井さんが金曜に変更になってからも、土曜日の部活が辛かったですが、ラジオも聴くくらいイエモンにハマりました。あの頃に戻りたい!
あやこ
1994年7月だったと思います。テレビの音楽番組で、熱帯夜を演奏するTHE YELLOW MONKEYというバンドの存在を、初めて知りました。曲も、メンバーの皆さんの佇まいも、日本人でこんなにかっこいい音楽をされている人達がいるのかと、感動しました。その出会いから今日まで、私に色んな経験をさせて下さり、子供の頃から好きだった音楽をもっと大好きにさせて下さいました。これからの日々も、前を向いて進んでいける大きなエネルギーと出会えました。
k_cotaro
私が初めてTHE YELLOW MONKEY を知ったのは、悲しきASIAN BOYの時です。職場の後輩からススメられたのですが、CDジャケットや雑誌で見た坊主のロビンにビックリしたのが第一印象でした。ヴォーカルの人、カッコいいけど坊主なんだね~なんて、上から目線の感想を言っていたあの頃(笑) そして、次のシングル『熱帯夜』で、モンキー沼に落ちるのでした♡
かおる
1989年12月31日、私はLamamaのカウントダウンliveに行ったんだ、たしか1989年。そこで、知らないバンド「the yellow monkey」が飛び入りです!って出てきた。誰??知らなーい、と年越し蕎麦食べながら見てた。。ごめんなさい。 近くにいた知らない子が、「ボーカル以外キラーメイだよ」とおしえてくれた(ちょっと、違いましたネ)。 これは女の子にモテるだろうね、ボーカルの人なんで怒ってるの?と話したこと、メンバーのキラキラしたステージ記憶に残ってます。 他に出ていたバンドのこと何一つ記憶にない。やっぱりただ者ではなかったんだなーと、30年しみじみ思います。
かなさる
当時高校生で、深夜勉強に集中出来ず付けたテレビで見たのは、私の人生を変える映像でした。 とにかく訳が分からない。衝撃的で見てはいけないものを見た感覚。 それが何者なのか誰にも言えず聞けないまま勉強どころか眠れずに興奮した、これが私の始まり。 アバンギャルドで行こうよ。
すんちゃん
TOUR'94 “JAGUAR HARD PAIN”の中野サンプラザが初めてのLIVEです。 姉がチケットを取ってくれて、それ以降はいつも二人で参加していました。LOVINの坊主頭を生で観れたのは貴重ですね。 当時とてもマイナーだったTVK(テレビ神奈川)は、音楽押しのテレビ局として売っていて、イエローモンキーもそこで知りました。 毎日生放送もありゲストもよく来ていて、PVもたくさん流していました。 その時に見たLOVINの自転車柄スーツ、忘れる事は出来ません! 初めて見た時、姉と大騒ぎしたのを覚えています。 TVKのおかげでメンバーの人柄を知りファンになりました。ありがとうTVK!!
ムー子
92年ボインでぶっとばせ!ツアー 12月24日名古屋でのライブに友達と遠征。 クリスマスイブということでライブ終わりにコンビニに寄り、ホールのクリスマスケーキを購入。 ホテルの部屋で女の子二人… 手掴みでクリスマスケーキをむさぼった思い出。
和金
この時期、乳児の世話でかなりの寝不足により夜中コタツで子供を抱えたままうたた寝…そんな時つけっぱなしのTVに妖艶な四人組が映ったのです!「夜はすべてこの手の中、アルカロイドは君の中♪」心の中に鮮やかな花が咲いたみたいでした。 ありがとう、あの時確かにこの身が潤いました!
lopgloss★
私がイエローモンキーと出会ったのは94年、LSBという野外ライブでした。福岡会場のゲストはイエローモンキー。これが運命の出会いになります。予習の意味で買ったCDで恋に落ち、全てのCDを買い集めました。ライブの日。雲ひとつない晴天!おろしたてのD&Gのブラウスは汗だく。この後豪雨に雷でライブは中断され、全員避難する羽目になるとは…誰にも想像できませんでした。確かね、あの日ロビンは柄シャツ着てたんです。『あんなろくでなしのシャツが似合う人はいない』と帰りの居酒屋で熱く語り合ったの、忘れません。選曲もとにかく素晴らしくて❤最後のASIANで私の蟻地獄人生は幕を開けました。
ゆきんこ310
出会いはたしか(記憶だけが頼り)テレビ埼玉で流れていた熱帯夜のPVです。1994年、当時中学生だったわたしはテレビ埼玉で放送されていたHotWaveという音楽番組の後に邦楽のPVを流す番組を見ていました。THE YELLOW MONKEYの存在は雑誌で知ってはいたものの曲を聴くのも動く姿を見るのも初めて。そのかっこよさに衝撃を受け一瞬で心を奪われ翌日大宮アルシェに入っていたCD屋さんに走りました。そこで手に入れた熱帯夜のシングルと、1点だけあった初回限定盤のJAGUAR HARD PAIN。わたしの原点。今でも宝物です。
ねえこ
短大生だった私は夜更かしをするようになり、よなよなテレビを見る日が増えました。夜中、軍服で短髪イケメンがボーカルのバンドが歌うMVが時々流れていて、漠然とかっこいいなと思ってました。数年後、ラジオから流れるTHE YELLOW MONKEYのLOVE COMMUNICATIONという歌に惹かれ、色々アルバムを聞くようになり、夜中に流れていたあの歌悲しきASIAN BOYが同じバンドと知った時の衝撃は未だに忘れられません。実は随分前から出会っていた事、そして夜中見ていた熱帯夜も同じ人達だった事、こんなにドンピシャにくる事ある?という嬉しい衝撃がTHE YELLOW MONKEYとの出会いです!
solla
初めての出会いは、福岡での嵐の中のイベントLSBでした。ここで聴いた熱帯夜が頭から離れず、アルバム聴いてライブ行ってみてと、気付いたら沼に嵌ってしまいました…
owachi
私がイエローモンキーと出会ったのは94年末の武道館!LSD94でした。 他のアーティスト目当てに行った武道館で初めて見るイエローモンキーは、淫靡でインチキ臭くて一瞬で心奪われました。 そこから初めて買ったアルバムがJaguar hard pain。私の人生で一番聴いたアルバムです。 出会いがライブだったので、やっぱり今でもライブで輝くイエローモンキーが大好きです。
nbe
まだイエローモンキーのイの字も知らなかった頃、思い起こせば私は吉井さんと出会っていました。それは当時の仕事先である名古屋のFM局です。そこで私はフリーで構成作家をしていました。ディレクターと番組の打ち合わせをしていたある日、突然パーテーション越しに現れたのがこの世のものとは思えないほどの美しい男性!坊主頭の吉井さんです。同行していたプロモーターさんの顔はもう思い出せないのですが、この時の美しすぎる吉井さんの姿は30年近く経った今でも目に脳裏に焼き付いています!この坊主頭の印象が強すぎてその後TVで見たショートヘアの吉井さんにしばらく違和感がありました(笑)構成作家時代のちょっとイイ思い出です。
なおぢさん
まさに、フェスのはしり!その昔、みちのくにこんな凄い夏のロックのお祭りがあったのだ!奇しくも我らがTHE YELLOW MONKEY出陣の’94が最後の開催でした。 花道を闊歩する雨に濡れたロビンが忘れられません!
油うらさん
jaguar hard pain 1944-1994!衝撃的なアルバムでした。この世界観に近づきたくて、弟に学ランを借りてライブに参戦しました。頑張って扇子にステッカーのデザインを手描きしたのも良い思い出です。
油うらさん
BSヤングバトル!広島のゲストがTHE YELLOW MONKEYで嬉しかった!バンドやってなかったけど、知り合いが出るわけでもないけど、THE YELLOW MONKEYが観たくて行きました。吉田栄作さんもカッコよかった。
so−jiさん
1992年7月30日渋谷ON AIRライブチケット
ひなちゃんママさん
最近宝物入れから見つけたチケット。始めて行ったライブ。あの時の衝撃、楽しさ。今でも覚えてます!
Mieさん
イエローモンキーと出会う事ができた運命の日のチケットです!初めての印象はカッコよくて曲が全部良い!でした。
さやちさん
今ではみなくなった8cm CD専用のアダプタにはめて聴いていました。 はめるときにCDに傷がつかないかすごく気をつかっていました。他の曲のこのサイズのCDたちは宝物です。
NOSUKEさん
この衝撃的な映像を初めて見たときには、2年後生でライブを見ることができる日が来るとは予想だにしなかったです……
ミナさん
高校3年生で、熱帯夜のMVを見て衝撃を受けました! こんなカッコイイ セクシーな人・声初めてと。 翌日、バンドに詳しい友達に興奮して伝え、THE YELLOW MONKEYを知りました! それから、ずっと大好きです。 初めて行ったLIVEパンフレットも、思い出です。
ばぶたかさん
僕とTHE YELLOW MONKEYとの出会いは、所さんのワーワーブーブーの、エンディングのときでした。エンディングロールが早くて誰の曲かわかるまで、1ヶ月かかりました!初めて買ったアルバムは、smileでした。どうしてはまったかというと、他にはないあやしくて、エロチックで、サイケデリックなところ。みんなが楽しく口ずさんでしまう曲調。吉井さんは、メロディのところまで歌っていましたよね。そういうところにTHE YELLOW MONKEYのファンのみんなは、ひかれたんです。ファンは、あの時の時代で止まったままでいいんです。だから、昔みたいな曲いっぱい作って欲しいです。きっとみんな待っています。
hinako_mouさん
私が初めてTHE YELLOW MONKEYを見たのは1994年のjaguarの頃です。土曜の夕方に生で放送されていた名古屋のローカル番組「5時SATマガジン」での事です。何気に見ていたら、その日のゲストとして出演した4人が紹介されました。その時頭に雷が落ちたような衝撃を受けたのです。ボーカルは坊主の超イケメン、他のメンバーは長髪のこれまたイケメン揃い。第一印象は「何か悪そうで怖そうな人達だなぁー」でしたが、話し出すとすっごく礼儀正しくて「何なんだ、この人たちは!」と、そのギャップに一瞬でやられてしまいました。所謂、一目惚れっていうやつです。
チカ☆☆☆さん
以前からバンドの存在は知っていた。イベントでも見かけたことはあったけど、ちゃんと聴いたことなかった… 93.10.31『NACK5 GO ROCK』日比谷野音のイベントで前から5列目くらいの席。楽曲と歌詞とステージリングにホントに一瞬でノックアウトされた… ヤバイくらいのカッコ良さで、まだ夕暮れの時間だったはずなのに溢れる妖しさ。他のバンドのファンを食ってやる!!って勢い!!とにかく凄かった!!別のバンドを見に行ったはずなのに、イエローモンキーの事しか覚えていないイベント。そのあと蟻地獄に落ちましたけど、思い返せばココが始まりの地です。
あつしラモーンさん
雑誌の企画にあった「吉井和哉の名盤99」。当時、私は高校生でした。その企画で吉井さんがお薦めしているCDを、お小遣いを貯めては順番に買って聴いていました。ジャケット写真と吉井さんのコメントを覚えるぐらい何度も読みました。最初、わからなかった音楽も吉井さんがお勧めしているものだから間違いないと思い、何度も聴いて好きなりました。私の音楽体験の基礎になっています。吉井さんは私の音楽の先生でもあります。吉井さん、ありがとう!
shellosanさん
初めてTHE YELLOW MONKEYの楽曲を耳にしたのは父に連れられて行った1992年の名古屋にある名城大学の文化祭での野外ライブでした。 (父はイベント好きで、大学祭とかもよく一緒に行ってました) 当時まだ中学2年生で、思春期を迎えていた私には刺激的なサウンドで、まるで頭に雷が落ちたみたいな感覚だったのが私とTHE YELLOW MONKEYとの出逢いでした! (だから勉強できなかったのかなー、なんて。)
ヴィーナスの耳飾りさん
初出会いはカーステのラジオでした。吉井さんを石井竜也さんと聞き間違いずっと聞いてました。車の運転に集中してました。1994年の専門学校の帰りです。歌が始まり違う事に気づきチャンネルを回しました。が、ここまで聞いていたのもご縁と思い、戻したらサビで、メロディーが好きになり次の日アルバムを買いにいきました。(ラブコミュニケーション)スマイルの前のアルバムを買うのが怖い事を友達に話したら友達が面白がってジャガーを購入し、次の日友達が「ロック聴けるよね?ブルーハーツ好きだよね?」うん。と返事すると「じゃぁ聴けるよ!」とジャガーを貸してくれて、気に入り前のアルバムも即買いに行き歌にドハマりしました
チカ☆☆☆さん
93.94年頃、他のバンドが好きでイベントにも出掛けてた。そこでとにかくギラギラしたイエローモンキー がいました。他のバンドのファンにも、食らいつくメンバー(笑)何回かイベントで観るうちにいつの間にかココロを持っていかれて。そんな私もついに禁断の扉を開きました。そこからhappyだらけの人生です。
mikasaさん
1994年、大学生だった私は下宿仲間のおかげでTHE YELLOW MONKEYにどハマリしました。友人はSOFT BALLETのファンでL.S.Bに出演していたTHE YELLOW MONKEYが私の好みと見抜いていました。毎晩のようにライブ映像をいろいろ見せてくれました。メンバーのルックスや楽曲が私好みで、久しぶりに好きなバンドに出会えた~と嬉しかったです。すぐにでもライブ行きたーいと思いました。でもその頃すでにTHE YELLOW MONKEYは人気があって、ライブのチケットを取るのも大変だったのを覚えています。
みいさん
はじめてイエローモンキーと出会ったのは、中京テレビの5時サタマガジンにゲスト出演されていたオンエアでした。 悲しき…のシングルを引っ提げて、吉井さんが真っ赤な上下でめちゃめちゃカッコよかった!私のイエロー時代の始まりです~
希世さん
1994年「悲しきASIAN BOY」のMVと曲を聴いて好きになりました! 実はデビューした時も名前は知っていたのですが(菊地兄弟が在籍していた某バンドの曲を聴いていたので)何となく聴かずに何年か過ぎてしまい、後悔しています。 早く聴けば良かった!
知佐さん
私にとって忘れられないライブと言えば、初ラママ。仲の良い学生の時からの友達と。1989年12月29日より以前。7月ぐらい?だったと記憶してます。「ザ イエローモンキーって、どんな音楽をやってくれるんだろう??」メンバー名ははっきりしてるものの、雑誌によって名前に~ズとあったり、ザが抜けてたりするくらい、情報が曖昧で、正直不安もありました。でも、未知のバンド。ドキドキワクワクしながらラママに向かいました。ところが入り口の看板には一番下に名前があって、チケット買うときも控えめになり…。でも演奏を聴いた第一印象は「今まで出会ったことのないバンド!!」そこから、私と友人のモンキー活動が始まりました。
モモタロウさん
当時、地元のレコード屋さんでバイトしている時に、新譜で入荷して来た『悲しきASIAN BOY』のジャケットを見て、心を惹かれ、MVで衝撃を受け、このバンド『カッコイイ!』。 勝手にお店で流していたら、店長に怒られたのを今でも思い出します。
さゆりさん
3歳の時、兄とぼんやりと見ていたポップジャム。突然目の前に現れたのは、何とも言えない、妖艶で、見てはいけないようなものを見てしまった感覚にさせられてしまい…。 このお兄ちゃんたちはなんだろ?カッコいいけどすごく綺麗!何者? まだ小さかったので上手く言葉に表せなかったけど、カッコいいのに綺麗という不思議な気持ちになりました。あまりにも衝撃的な出会いで、当時の映像や熱帯夜を聴くとあの時の気持ちが蘇りドキッとします。 改めて結成30周年おめでとうございます! この先もずっと追いかけて行きます! どうぞお身体大切になさって下さい。 また会える日を楽しみにしています。
BONBONさん
1993年の日清パワーステーションのライブで吉井さんが着用したヤキソバンのコスチュームです。活動休止後、ペチコートレーンのプレゼント企画に、夫が応募していただいたものです。 本当は、エマさんの革ジャンに応募したのですが、それを吉井さんが欲しくなったということで、代わりに吉井さんとエマちゃんの詰め合わせセットが送られてきました。休止後落ち込んでいた我が家に届いた宝物です。 大事にしていた…と言わないといけませんが、出すのが大変そうだったので(笑)、今回、この企画のために初めて出して、つるしてみました。まるで首をかしげているかのように写ったのはご愛嬌です(笑)。懐かしいですね〜。
mrs.emさん
岡山県の県北、蒜山高原でのロックフェスが岡山での初ライブとなりました。地元の放送局にはキャンペーンとかで来ていたみたいなので、いつか岡山でライブをと約束していたのかな?応募ハガキ100枚出して、ゲットしました。このライブ以来私の長い追っかけ人生が始まりましたね。1994年の夏でした。
さのっちさん
93’8.17日清パワーステーション ドーベルマンディのメニューです。友人のお姉さんにスペシャルディナーシート取れたから行くよね!?と半強制的に連れて行かれww 中2階の席からステージを見下ろす感じで、初めてのパワーステーションだったのですが地方とは違いめちゃくちゃ人が入っている。まぁ驚きました。(失礼な話でごめんなさい) メニューのサインはコピーなのでみんな同じでした。吉井さんのホッケがかわいいですね。 450円。
油うらさん
初めて行ったTHE YELLOW MONKEYのライブ!高校生だった私は、都会にはこんな妖艶で美しい人間が実在するのだと、ただただ唖然としました。 吉井さんの「血のついた下着のような、真っ赤な夜にしよう…Come on!」という言葉から始まったドラスティックホリディ、忘れません。
so−jiさん
父(50歳)から譲り受けた宝物です! 1992年ツアーTシャツ 販促物のライター・サンプルカセット
CONNYさん
今は懐かしい(笑)、ポータブルCDプレーヤーに 貼って毎日monkey聴いてました。ステッカーごと処分するのはもったいなくて剥がした結果がコレです(*´∀`)♪
so−jiさん
当時の貴重な資料。
あのまろさん
初めてTheYellowMonkeyを見たLiveのチケットです。あの日の衝撃は一生、忘れないでしょう。
もときさん
僕も嫁さんもまだ中学生。 出逢ってもいない二人は、同じ時間に、同じCDを買い、同じ曲が心に刻まれていました。 久しぶりに1ページ目をめくると、メンバーからのメッセージが! 「あなたの魂に永遠に刻まれる事を祈って」
なおぢさん
FIRST MEETS! THE YELLOW MONKEY! ’93、2ndで恋に落ちて ’94、jaguarに会いに行けました! そこから現在までずっと素敵な蟻地獄!
ロッキンブルージーさん
中学の頃にSSTVで見てCD買いに行きました。 演歌しか置いて無いようなお店だったけど偶然にもコロムビアと提携してたのかポスターとかプラスチック製のPOPとか貰えたり・・・。 銀幕のVHSもそこで取り寄せて貰ったなぁ・・・ さすがにリビングでは見れませんでしたが(MORALITY SLAVE的な意味で) BELIEVERのみんなとまた笑顔で会える事を楽しみにしてます!
くまきくまこさん
初めての日清パワーステーションでのライブでの事。 会場付近にダフ屋がいて声をかけられた。 イエローモンキーもダフ屋が出る様になったか!と感動さえした。 ライブで吉井さんがMCで『ダフ屋が出たんだって!?』と同じ事を言ってたのが ちょっと嬉しかった。
まるちんさん
会社帰りの電車の中、私から少し離れた所に立っていたカップルが沢山のフライヤーを見返しながら楽しげに話していた。 『誰のライブ観に行ったんだろう?』と思っていた時、フライヤーを見返す手が止まり1枚のフライヤーの文字が見えた。 T…H…E…Y…E…L…L…O…W…M…O…N…K………そう、そこには「THE YELLOW MONKEY」と書かれていた。詳細は見えなかったけど、1991年のフライヤー。 これが私が初めてTHE YELLOW MONKEYの存在を知った日。
クロコダイルさん
第1期は僕がTHE YELLOW MONKEYを知った時期、吉井さん曰く「変なビジュアル系って言われてた」通りとにかく個性的だった、当時はこの後の人生を捧げるバンドになるとは思ってなかったが、何気無く観てたNHKのポップジャムでTHE YELLOW MONKEYと初めて出逢い、心臓を撃ち抜かれるような衝撃を受けたことを今でも鮮明に覚えています。
ハムタスさん
熱帯夜のmusic videoで一目惚れしました!それがTHE YELLOW MONKEYとの出会いです!翌日すぐにCDを買いに行きました。出会えて本当によかったとつくづく思います。
ゆうちゃむさん
1993年、THE YELLOW MONKEYと出会った時期、テレビでアバンギャルドのMVが流れていてサビが頭から離れず、インパクトのあるバンド名、すぐに記憶に残った。1994年、友人が気になるバンドがあると、それがTHE YELLOW MONKEY。当時、携帯電話はなかったので雑誌等で情報を探し、たしか7月頃、熱帯夜のキャンペーンの公開放送を見に行って初めてLOVINとHEESEYを目の当たりに。お話が楽しかった。12月17日初めてのLIVE、渋谷公会堂の一番後ろの席でした。12月26日、中野サンプラザ。12月29日、日本武道館のイベントに立て続けに行き、その後ドはまりして行くのでした。
カタクリコさん
1994年、私はようやく15歳。ライブに行くなんて発想もない頃、深夜のテレビで熱帯夜のPVを見たのが初めての出会いでした。ギラギラでくねくねで抱きしめられたらカーニバル♪今でも忘れられない衝撃的な出会いでした( 〃▽〃)
gogo*さん
当日、田舎の中学生だった私はケーブルテレビでLIVE Yを見てイエローモンキーに一目惚れ、都会には綺麗なお兄さんがいる、大きくなったら都会に行こうと誓う。SUCK OF LIFEは田舎の中学生には非常に刺激が強く、親が来たら急いでテレビを消してたのも、今となっては懐かしい想い出です。
知佐さん
友人とテレビ埼玉の中津川雅彦フォークジャンボリーの観覧に行きました。とにかく、イエローモンキーがテレビに出る!その時に同じ空間にいられる!!ということで、ラママやフリークスに行く時の感情とはまた別のドキドキ感がありました。TV収録しかもアコースティックライブ。番組観覧中は、緊張してしまい、どんなリアクションをとっていいか迷って、控えめな手拍子と拍手しかできませんでした。今なら、もっといつもみたいに楽しんでただろうなぁ、と思います。ジギーを完コピした宗清さんの登場もかなりインパクトありました。カメレオンの涙をライブで聴けたこと、一生忘れません。
mikimikiさん
深夜にテスト勉強していた10代の私。突如ものすごい衝撃のイントロが耳に入り、勉強の手を止めてテレビに目をやると、坊主頭のボーカルと派手なロン毛のメンバーが演奏していました。見た目のインパクトと曲のカッコ良さにしばらく目が離せず、テストの事などぶっ飛びPVをのめり込んで観ました。その時はバンド名も曲名も調べる事も出来ず、しばらくあれは夢だったのかな?でも、どうしてもまた聴きたい、あのバンドを知りたい、と思っていました。そんな時に本屋さんで音楽雑誌をパラパラ立ち読みしていると、見つけました!イエローモンキー、悲しきエイジアンボーーイ! そこから私のイエローモンキーに彩られる青春が始まったのです。
知佐さん
まだインディーズの頃、私は習い事で週3くらいで上野に通ってました。そこでよく通る通りにヒーセさんらしき?人がアクセサリーを売ってるじゃないですか?友達も同じことを言ってて、その後何度もお見かけして、絶対ヒーセさんだ〜と確信しました。その後のライブで、ロビンが「チケットは手売りもしてるので、買ってね!」と。友人と買いに行きましたよ。ヒーセさんはすごく気さくに話してくださり、優しい方だなぁ、と思ったのは昨日のことのようです。その後に店に行くと、その時の店員さんが、「ヒーセさん、忙しくなっちゃって…」と。後から思えばあの時はもうメジャーデビューが決まってたんですね。
み〜なさん
新企画、ありがとうございます! 1994年の夏、深夜の音楽番組で「熱帯夜」のPVを見たのが、私とTHE YELLOW MONKEYの初めての出会いでした。第一印象は「このバンド何?」。でも音楽のかっこよさと吉井さん(当時は名前の認識はなかったです)のビジュアルとバンド名のインパクトもあって、ずっと記憶に残ってました。THE YELLOW MONKEYの曲をもっと耳にするようになったのは翌年。たまたま聞いていたラジオがきっかけでした。っと、第二期に入ってしまうので、今回のコメントはここまでです。でも正直に言うと、この頃は後にこんなに大好きなバンドになるって思ってなかったなぁ。
りんりんさん
「THE NIGHT SNAILS AND PLASTIC BOOGIE」が発売された時、若かりし私は田舎のCD店で働いていて 店員の特権で気になるCDを選んで店内で聴いていました。 いつもの様に新譜の中から選んで聴いた時、ん??…何?…気になり何度も何度も聴いて最終買ってしまった!!笑 あれから30年… 早いですねービックリです??笑 ずっと惚れてますよ私。 今でも夜行性を聴くとあの頃の出来事を思い出してしまう、 イエローモンキーと私の出会いの大切な1枚です。
千明さん
「Love Communication」を聴いて「好きかも?」となっていた私。「ラブコミ」でポップジャムに出演するということで、当時TVと一体型になっていたラジカセでTVの音声を録音しようと、今か今かとスタンバっていました。焦って準備をしていてトイレを我慢していたのですが限界が来てしまい「まだ出て来ないだろう」と姉にまかせてトイレへダッシュ。察しの通り、帰って来た時にはもう曲はアウトロでほぼ見れず、、、。「これが運命か」と思いましたが、姉が録音しといてくれた音源を聴いたとたん、完全にハマってしまいました。今思うと商業的罠にまんまとひっかかったわけですが(笑)騙されたおかげで今があります(笑
tktktkさん
確か1992年夏頃、名古屋の中京テレビ「5時SATマガジン」という生放送の音楽番組に、THE YELLOW MONKEYがライブ出演された時に、スタジオ内で観覧しました。 私は進学校に通うガリ勉な高校生。ささやかな趣味が音楽鑑賞。親の目を縫って毎週コソコソ観覧応募葉書を出し続けていました。 ようやく初めて当選した日の放送が、初出演の4人との出会いでした。 脚の長さとカッコよさに度肝を抜かれた、忘れられない日になりました。 あれから数十年、今も変わらぬ素敵な皆様をライブで見られる2020年がとても嬉しいです。東京ドーム楽しみにしてますよ!
1995-99
BELIEVER. COMMENTS
BELIEVER.さん
当時すごく気に入っていたネイルの写真を発見。
BELIEVER.の皆さんから
の投稿写真を掲載!
BELIEVER.の皆さんからの投稿コメントを掲載!
☆y-chan☆
初めて行ったイエローモンキー お江戸のライブにはメカラ7!これが後々伝説のライブと呼ばれることはその時は知りませんでした。 始まった瞬間の震えは忘れられません。
ひわちゃん
初めてのライブは99年の1月、マリンメッセ福岡で行われたパンチドランカーツアーでした。 当時私は高校一年生。ファンクラブに入っていなかった私はコンビニのフリーペーパーでツアーのことを知り、日に日にライブに行きたい気持ちは高まった。 でもどうやってチケットを手に入れたらいいのか…チケット発売日は書いてあるけど発売開始時間は学校に行ってるし、当時は発売開始時刻に電話して早い者勝ちのような方法。半ば諦めていた。 が、早期チケット発売が10月にあり、その発売日に運良く?台風直撃により学校が休校に!チャンスだ!!しかし、当時の私の家の電話じゃチケット販売に対応できず、携帯も持っていなかった。 ありがたいことにまだ雨風が強まる前だったので私は近所のコンビニまで傘をさしてフリーペーパーを握りしめ向かった。 公衆電話に100円を何枚も投入して10時になったとたんドキドキしながら震える手で番号を押した。なんと、繋がった!! 本当に!?と思いながらアナウンスを聞き、発券番号をフリーペーパーにメモした。 ライブ当日は体調不良と言って部活を休み学校が終わって急いで電車に飛び乗った。 あの感覚、ドキドキは忘れられない。 当時部活を休んでごめんなさい。 当時の貯めていたお小遣いで買ったグッズのTシャツはまだ着ています。
HONEY
97年のファンクラブ旅行に参加できたことが、別格の思い出です。メンバーと一緒にとった一番の宝物は投稿できないので、楽しかった思い出を。この旅行では贅沢なことに3つのライブやメンバーとの食事会や写真撮影がありました。97年の夏と言えば、アリーナツアー、フジロックのあと、紫の炎の間です。イギリスデビューを果たし、故ミックロンソンメモリアルコンサートと自身のライブを行った記念すべきタイミングに立ち合えたこと、この上ない幸せです。モンキーもこのあと、さらに高みを目指して大きな挑戦に出ますが、私はイギリスへ留学する決意を固めました。モンキーは私の人生を後押ししてくれました。これからもついていきます!
じゆう
初回のファンクラブ旅行、パリでのメンバーとの市内観光のバスのくじでLovinの真後ろの席。 Lovinの耳たぶを見ながら観光していました。 パーティーでのクイズが最高得点でいただいたメンバーサインのお皿。 いまでも大事な宝物です。
りょーちん
tour96"野性の証明"。親友と行った初めてのLIVE。あの日の衝撃は言葉ではちょっと表せないくらい。一生忘れない、大切な思い出です。
☆y-chan☆
私が初めてイエローモンキーのライブに行ったのはsmileツアーでしたが、私のイエローモンキー人生の中で記憶に残る大好きなライブは当時の西宮球場で開催された野外ライブの紫の炎ツアーです。ちょうどあの日、雨が降るかもしれないって言う少し不安定なお天気で、でも雨は降らず紫の炎ツアーに相応しい紫色の空だったことを今でも忘れられません。 また夜の野外ライブやってほしいな~。 ライトアップされたステージ最高でした。
HONEY
モンキーを知った94年、田舎の少女だった私には、ライブは大人が行くものと思い込み、チケットの取り方やファンクラブの存在にも気付かず、音源を聴き込み、TVやラジオ、雑誌を食い入るように見てはまっていきました。そして翌夏、その瞬間がやってきます。モンキーが出演するイベントの観覧募集の情報をラジオでキャッチ!昼のイベントなら親も反対しないし、絶対行きたいと思い、何枚も応募葉書を出し見事当選。「MEET THE WORLD BEAT」が生モンキー初体験となりました。生で見るバンドの勢いや魔力は凄まじく、1週間後には岡山、9月1日には初ライブ、10日には愛知と、異様な勢いで沼に落ちていった夏でした。
たけるい
パンチドランカーツアー9月26日のNHKホール公演。5列目エマ側の良席。今までで1番良席。そしてエマのピックをゲット! ただ、そこには… どうやってゲットしたかと言いますと、ラストの犬小屋が終わって、エマがピックをこっちに投げた。飛んできたけど見失った。後ろの席の女の子が「痛ーい!」と叫んだ。ピックがおでこに当たったらしい。探すが見当たらない。よーく探すと、私のバックの中に! そのままだまって会場を後に。女の子ごめんなさい。そしてありがとう。
HALEのkou☆
1998年4月、初めてTHE YELLOW MONKEYを生で体験し、その場で「BUNCHED BIRTH」を購入。翌日 Petticoat Lane へ申込み。パンドラツアーで遠征し、メカラウロコでマリーさんに泣き、映画館で栄樹監督のお話に頷き、CDショップを巡ってエマバラに出逢う。ラジオや洋楽を聴くようになり、映画もたくさん観に行った。THE YELLOW MONKEYへの知識欲が爆発してた時期。夜行バスに遅れそうになって走ってたなぁ。
aki☆
初武道館 嬉しい~!くらいの気持ちで参加したメカラウロコ7。オープニングからびっくりで、ファン歴2年だった私はすぐにはこのライブの意味を理解できずにいたと思う。 数曲終わって、自分は今すごいものを見ているのかもしれないとようやく気づき始めて、次々と演奏される過去の楽曲に圧倒されつつも、嬉しくて楽しくて終始大盛り上がりだった。 そして最後に披露されたのが楽園。次の新たなステージへの期待を高めるこの新曲がとても印象に残った、最高のライブだった。 写真のペンダントは大切すぎてずっとしまってあるけど、たまには使ってあげた方がいいのかもしれない。
yoko.s
高校生だった96年、アニメのエンディングテーマだったTacticsのかっこよさに一瞬で魅了され、誰が歌っているのかとクレジットを凝視し、THE YELLOW MONKEYだと知った瞬間を今でもはっきり記憶しています。初めて行ったライブは97年の紫の炎西武球場でした。席は遠く、1人参戦でドキドキでしたが、会場の熱気と一体感に、体が勝手に動いていました。その後何度もライブに行くことができて、本当に最高に楽しい時間を過ごしました。私の青春、THEYELLOW MONKEYなくして語れません。
★okuboN★
1995年、人生初・日本武道館、人生初・海外旅行、THE YELLOW MONKEYとご一緒させていただきました。 ライブアンケートのご要望欄に、 『メンバーとロンドン旅行に行きたいなぁ』と書いていた私。FC武道館打ち上げパリ・ ロンドンツアー決定に歓喜しました。 メンバー参加のバスでのパリ観光、くじ引き で1番を引き、メンバーの真後ろの座席を 勝ち取りました。アンケートを欠かさず書いていたご褒美だったのかもしれません。
hide
'96年。当時はCDショップも街に沢山あり CD・ビデオを購入して店員さんにお願いすると 早い者勝ちで運が良ければ 店頭販促用ポスターが貰えるという ステキなシステムがありました。 その為、新譜発表の情報を耳にすると 店頭販促用ポスターを貼っているショップを 街中探して予約したものでした。 で、運良く手に入れたのが写真のパネル。 デパートの中のテナントだった為 大きなパネルを抱えてデパート?を歩くのは 嬉しいやら小っ恥ずかしいやら。 24年経ってパネルも色あせてくたびれてきましたが 今でも私の宝物です。 あの時のショップのお姉さんありがとう。
yurimama
今でも大切に持っている1998年1月7日の新聞です。初めてTHE YELLOW MONKEYに会うことができたこの壮大なツアー…「JAM」を聴き涙がこぼれたことを覚えています。社会人になりお給料のほとんどをLIVE・グッズ・CD・ビデオ・雑誌等々に…部屋中がイエローモンキーでした。全てが本当に大切な宝物です。
ユキ将軍
1996,6,19 野性の証明(秋田) 中央5列目の最高の席 高3の私と高2妹初ライブ ヒーセがピックを投げたので拾ったら足元にもう一枚エマちゃんピックが落ちてた(うぉ\(^^)/) サックは刺激的でした(笑)
シン
98年のこの日の新聞は今でも大切に持ってます。まぁ見たときは興奮したなぁ。出社してすぐ営業にでますって言って車で外に出て一日中この記事見てたな~。年間計画ですよ。いわく付きの岡山にも行けたし最終日に行けたことも幸運だったなぁ。
シン
バラ色の日々のマキシです。2種類あったのご存知でしたか?当時のファンの間でアニバラ、エマバラと言われていたやつです。探した探したホントに。今でもお宝。ちなみにアルバムsicksとsugar fixのEU盤(輸入盤)もありますよ。ukでのデビュー曲はsugar fixだったんですね。
りょーちん
23年前の卒業文集。この言葉を選んだ当時の自分を誇りに思う!僕は今も変わらず、ずっとファンだよ。
百日紅
高校生の時の選択授業で、私達のグループは、イエモンのプロモーション的な事をすることになり、ビデオテープの『CLIPS』を見て、一気に大好きになりました。卒業して、車を運転するようになって、初めて新品のCDを買いました。それがBEST版です。少しずつCDやビデオを買い集め、思い切ってファンクラブも入りました。初めてのライブには、友達に付いてきてもらいました。当時、地方に住んでる私には、メンバーが写っているものは、小さくても宝物でした。 これからだって『大好き』は、ずっと変わりませんよ。
フクヨジャ
1999年1月23日名古屋・レインボーホール。楽しみにしていたのに、よりによって当日風邪で熱をだし行けませんでした。そんな私に一緒に行く予定だった姉がお土産に買ってきてくれたパンドラツアーグッズ。バンダナとツアートラックです。バンダナはお弁当を包んだりして使ってました!
タソガレ
97年紫の炎 ポートメッセなごやのチケットです。会場(大駐車場)までのシャトルバスが大混雑でしたが、乗車券にメンバーの写真が、ただそれだけで嬉しかった事を覚えています。イエローモンキーコンサートの文字がちょっとほのぼのとしていますね。ライブはメチャカッコ良かったですよ 当然ですが(笑)
ぞむママ
学生だった私は ライブのために 一生懸命バイトして チケットやグッズを買っていたのが いい思いでです。
miko970507
パンドラ最終日、横浜アリーナのチケット。 約1年で足を運べたのは13本。今でもチケットは大事にとってあります。 ペチレーのおかげで地元のホールのチケットが取れて、どれだけ嬉しかったことか。 今ではなくなりつつある紙チケット。 公衆電話から必死で電話したのも懐かしい思い出です。 パンドラ最終日のあと、転職して山奥へ引っ越して。旅立ちの勇気をもらった日でした。
miko970507
初めてチケットが取れた「メカラウロコ」! 12/28に武道館でライブに参加できたことに感動しました。 パンフレットは宝物。たくさんの方からのお祝いコメントとスタッフさんのポラ。読み応えがありました。 冒頭のMitchさん撮影のメンバー写真が強烈すぎて、何度も夢に出てきました。 横アリから9ヶ月ぶりのライブを久しぶりに感じてたあの頃。 もう20年も前のことだなんて!!
miko970507
夏の西武球場。まだ屋根はなくて日焼けするほど強い日差しだった記憶。 冷凍庫内で防寒着を着て演奏するメンバーの映像と、球場に入ってきた車!驚きの演出でした。 圧倒的なライブの後で開いたパンフレットには、ブランコに乗った笑顔のお兄様方… そのギャップにヤラレましたよ。
きくたん
1997年4月、小学6年生の時にTHE YELLOW MONKEYの大ファンになりました。 98年、親に頼み込んでファンクラブに入会し「メカラウロコ・9」のチケットをゲット。教室の机に「あと○日」と毎日数字を書きかえて公演までカウントダウンしたのを今でも覚えています。 初めてのライブ、初めての日本武道館。1人だったので心細さもありましたが、ライブが始まるとそんな気持ちもどこかに吹き飛んでしまって、会場の一体感やマリーさんの登場に感動しっぱなしでした。 当時のチケットやアンケート、グッズなどは一生の宝物です。
ほげちゃん
1999.12.28 メカラウロコ10と1999.12.29 We are petticoat laner 新潟からのバスツアーで参加しました! 本当に夢のような最高に幸せな2日間でした。 あのバスでご一緒した皆さんも今BELIEVERだとうれしいなーーー!!
ほげちゃん
THE YELLOW MONKEYの蟻地獄に落ちるきっかけとなったのがこのおセンチ日記です。 当時、出張の新幹線移動の暇つぶしに同僚からこの本を貸してもらいました。私はイエローモンキーの名前くらいしか知らない程度でしたが、この本が予想以上に面白く「これを書いた人はどんな人なんだろう?どんなビジュアル?どんな歌を歌うんだろう?」とライブビデオ、LIVE Yなどなど同僚にたくさん見せてもらって大好きになりました!!再結成後、ここまで以前のイエローモンキーを大好きだった気持ち以上に引き戻されていることにビックリです。メンバーへの愛情は深まる一方です!!
keeko
これが初めの一歩。 そこから怒涛のイエローモンキー地獄です。 吉井さんを観てずっとすすり泣く小学生の娘におやつを食べさせ、ほらほらヒーセ観てごらんニコニコしているよ!となだめながら何とか最後まで堪能し。ライブ終了後に後ろのお姉さん2人に大丈夫だった?と声をかけていただきました。。。 もうもうお母さんはメンバーをまんべんなく観たくて観たくてクラクラでした。
ゆきぼん
他のバンドが目当てで行った野外ライヴイベントで、真昼間の炎天下で初めて見て以来、蟻地獄から抜けれません。ベルトは劣化して、故障したけど今も大切な宝物です。
りんた
このアルバム97年発売で、なかなかもう買うことができないかもしれませんが、とってもとっても良いです。バイオリンやハープでの曲のアレンジが面白いし、メロディがしっかりしてるのできっと演奏してくれてる方々も楽しかったのではと想像し、癒されながら聴くまさに心が洗われる大切な逸品CDです。
まーさん
私がイエローモンキーを知ったのは1995か1996のNHKの音楽番組。1度見てノックダウンくらった。 1996に山形に来るというのですぐにファンクラブに入りチケット入手。前から16番目。とってもありがたかった。後光が差していた。中学2年の娘を学校に車で迎えに行きまっすぐ県民会館へ行ったなつかしい思い出。それからは毎年行けたな。 ありがとうイエローモンキー様!!
ayappe
パンドラツアーファイナル前日! この、ボウインマン迷彩Tシャツを着て行きました。 なんとアリーナ5列目という神席で、興奮のあまり何度も気絶しそうでした! 完全にエマ様と目が合い私に微笑んでくれたと今でも信じています。 この時私は高校卒業、大学受験に失敗して浪人生活が始まる前でもやもやしていましたが、とても力をもらったライブでした。 このTシャツはお気に入りで、今でも大切に、たまに着てます!
Å子
生まれて初めて観たライブが、野生の証明でした。まだ中学生で県外に遠征するの許して貰うの大変でしたが紫の炎に行けた時は本当に感動しました。今でも大切な思い出です。
ayappe
記念すべき初ライブ&ファンクラブのキーホルダーです! 追憶のマーメイドでハマって今に至ります。 ライブは、ずっとドキドキして、なんてかっこいいんだ!と大興奮だったのを覚えています。 あと、音が大きくてびっくりしたこと、圧倒されながらも、自分も頑張って手を上げたこと、この時私は高1で、お金が無くてグッズ買うのを泣く泣く諦めたこと、交通費もケチって、会場まで歩いて行ったこと、会場になりきりロビンがいっぱいいて面白かったことなど思い出がたくさんです。
たきさち
アルバム パンチドランカーのメンバー直筆サイン入のポスターです。 当時のファンクラブの懸賞で当選いたしました☆ 20年以上経ちますが、ずっと大切に大切に保管してます。 うちの家宝です!!
HONEY
98年7月3日、奈良でのライブ後にステージを去っていくアニーが、なんと手渡しで私にくれたスティックです!少ないお小遣いの中から通い詰めたライブで、初めて舞い降りた最前列の席でした。当時、私はまだ学生で子どもだったからかもしれませんが、アニーがニコッと笑ってスティックを差し出してくれたその瞬間の驚きとトキメキは、生涯忘れることはありません。スティックは当然、傷だらけで、それを見るたび、1年に113本という前人未踏の挑戦をし、擦りきれながらも見事に成し遂げた彼らの偉大さを思います。この間の悲しみ、苦しみ、絆までもをこのスティックが象徴しているように思えて、愛しくてなりません。
いちごjam
私のTHE YELLOW MONKEYとの出会いはFMラジオから流れる『太陽が燃えている』でした。一瞬で引き込まれ、その後、歌番組で『I LOVE YOU BABY』を、ヘドバンしながらギターやベースを掻き鳴らし歌うメンバーのカッコよさに完全に堕ちました☆初めてのLIVEは1996年6月4日の京都会館で、出会ったばかりのレイナー友達と参戦!写真は、その日の戦利品☆友達と「めっちゃカッコよかったな~!」と言いながら帰った良い思い出ぃです。今、またその友達とご飯に行ったり、たわいのない話をしたりしています。再集結してくれてありがとう!そして30周年、心からおめでとう!!!!
EMARINE
1998年3月初めの出来事は一生の思い出です。PUNCH DRUNKARDの発売日と次男の出産予定日がカブった!しかも3月なのに八王子だから雪降った!積もった!臨月のお腹で雪の中CDショップに行く勇気はありません…そこで2日後に無事出産を終えて、夫に「何か欲しいモノある?」と聞かれ、「家からラジカセ持って来て。イエローモンキーの新譜すぐ買って来て。お願い??」産院でイヤホンして聴いた感激を一生忘れません。その息子が成人して再集結後のライブに何度も一緒に行ってます。
玉恵
初めて何本も参戦したツアー。ライブ=有給消化。 1人で遠征チケットとか色々考えたりしたものです。各地で会う友達ともこの時代辺りは携帯で連絡取り合ってました。
みそみそ
1997年2月。 当時、小学生だった私はお金も無くイエローモンキーのCDを買う事が出来なかったので、テレビの音楽番組の録画を繰り返し観る事だけが楽しみでした。 写真のイラストは、当時の日記に描いた吉井さんです。
Mie
メカラウロコ10と次の日行われたファンクラブ公演のチケット!当時はこんなチケット見た事がなく、すごくびっくりしました。いつもファンを喜ばせてくれるメンバー、スタッフの皆様に感謝です!
アサみん
96年12月、当時憧れの先輩の車で流れてたTHE YELLOW MONKEY が最初の出会い。 先輩との距離を近づけたくてベストアルバムTRIAD YEARS act1を購入、聴きまくり一気にハマりました!それからLIVEがあるということで「FIX THE SICKS」に行きました。 初めてみたLIVEではそれまでアイドル系のコンサートしか行ったことがなかったので「これが本物のROCKのLIVEかぁ」と改めて実感。MCもあまりなく本当に音楽も演奏もルックスも感動しました。 バラの花を使って手品をする吉井さんも妖艶すぎた。そしてペチコ会員へと…
ロビン娘★あい
学生時代、バイト代を貯めて初参戦したライヴがパンチドランカーツアーでした。今までテレビのブラウン管越しでしか見た事が無かった憧れのイエローモンキーが我が地元に来てくれる!田舎娘は大層ときめいたのを覚えています。そして本物のロックを知った初夜。心と体。五感、全てを奪われ現在に至ります(笑) 今でもパンチドランカーを聴くと身体中の血が滾り、当時の記憶と興奮が蘇ります。多感な時期をイエローモンキーと過ごしたパンチドランカーツアーはアタシの青春そのものです。
美人猫
六本木の俳優座まで観に行きました。 映画館のスクリーンに写るメンバーが何ともくすぐったくて、不思議な感じもしました。吉井さんも最近この映画を観たというので、私も持っていたVHSを再生しました。
ひろめぐ
私が初めて観たTHE YELLOW MONKEYのワンマンライブは、バンドが初めて大阪城ホールで行なったライブでした。メンバーの皆さんもとても嬉しかったようで、MCで吉井さんは「夢が叶った。もう死んでもいいです。」と仰って、会場のファンからは悲鳴が。それを聞いて吉井さんは「(死ぬのは)イヤだけどね。それぐらいの気持ちです。」と笑顔で返していました。その後に演奏された「太陽が燃えている」。「生まれ変わってもまた会おう、同じ場所で」と歌いながら、吉井さんは力強くステージを指差していました。忘れられない思い出です。
Kool Lovin
当時BURNを聴いて、主題歌のドラマを毎週欠かさずに見ていました。当時、何かの応募で当たった記憶があります。今でも大切に保存しています。
Kool Lovin
当時レコード屋で、CDを探していたときに店頭で流れていました。当時は全く知らないバンドでしたが、デモテープを聞いて衝撃を受けたことは一生忘れられません。
koolkyo
この当時土日は休みでは無かったのですが。休みを取って付き合っていた彼女(のちに結婚)と行きました。BURNが発売してから何回もリピートして聞いていました。今程暑くは無かった記憶がありますが、何時間も外で待っていたと思います。ライブも最高でした、帰りの車でももちろんその日に演奏した曲を思い出して聞いていました。あれから数十年後RED TAPE "NAKED"の発売を記念して試写会が映画館であり、当選してそれを小学生の息子と見に行きました。その時当日の映像がサプライズで流れたのですが、数十年前の記憶が蘇り、結婚もして息子と同じに見ることが出来て感動しました。今でも成人した息子とライブに行っています。
hitochin31
1996年のFC旅行ロンドンにて。 沢山のメッセージが書かれたフレディーマーキュリーの家の壁。残念ながらエマさんのだけ見つかりませんでした。 右下はロンドンの街中に貼ってあったポスター。異彩を放ってます。 右上はジャケ写やPVの撮影場所ロイズビル。もちろんメンバーの真似っこをしながら撮影大会しました~。
skyflower
出逢いは19の夏、ラジオから流れてきた「追憶のマーメイド」聴いて一瞬で恋に落ちました。GoogleもないSiriも答えてくれない時代、 彼らの事を知る術はTVやラジオ音楽情報誌のみ…雑誌を買い漁り色々な情報を仕入れていました。私が初めて参戦したLIVEは「97’FIXTHESICKS」 スタンド南端から観る初めての「THEYELLOWMONKEY」の世界 ドキドキしながらLIVEを楽しんだのを覚えています。 写真は初めて買ったsingle「追憶のマーメイド」そしてFIXTHESICKSの想い出の品々です。
まぁや
ツアーに参加できず、やっと初めてモンキーを生で見られるライブとなったのが、このミックロンソン追悼ライブでした。主人が言うにはミックロンソンがミスしたギターをエマちゃんは完コピしてると、当時ニヤけて見てました。 Ziggy Stardust の最後に、手メガネポーズをした吉井さんを覚えてます。早くモンキーの曲が聴きたい、終わったばかりだけど早くツアーやってって思ってました(笑) パンフレットは、手作り感あってMaggi Ronsonさんからの手紙、メンバーと出演者のコメント、Mick Ronson の紹介などが載ってました。
Pearl Moon
97’「紫の炎」初日の宮城公演に参戦しました。物販で購入して、扇ぎやすくてずっと持ち続けた団扇です。「BURN」奏でるメンバー4人の姿が印象深く、二十代夏の思い出として、心に残っています。
くぅkuu
1995年9月1日、初めて実物のTHE YELLOW MONKEYを見た日です。ただただ「かっこよかった!」しか覚えていません。物販で売られていた前ツアーの嫌がらせのように大きなパンフレットと鬼平うちわを買って帰ったのもいい思い出ぃです(笑)。
さのっち
98年に嬉しい5年間継続記念冊子がFCから届きました。この冊子は発足した1年目入会500人弱に送られたものみたいです。 真っ白な表紙でメンバーからの感謝のコメント例えば5年間も俺達のことを好きでいてくれてありがとう(割愛)ずっと好きでいてね。と書いてあったりw1番の嬉しいおまけは裏表紙にメンバー4人の生サインが書いてあるんです。 気がつけば30年ずーっと好きでいました。 これからももちろん応援していきます。
funa yose
人生初ライブは17歳。パンチドランカーツアーの鳥取公演だった。席はまさかの3列目。目の前で繰り広げられる圧巻のパフォーマンスは、まるで映画のスクリーンを見ているかのよう。夢と現実が入り混じる、儚くも刺激的な夜だった。アンコール後、HEESEYさんが投げたピックが僕の手のひらに、隣の友人はANNIEさんのスティックを手にしていた。やっぱり現実だったんだ……。あれから22年。30代後半となった僕と友人は、大阪であの日と同じようにイエローモンキーのライブを観ていた。ステージには今も変わらず憧れ続ける彼らが、そして隣には変わらず彼らを好きでいる友人がいた。その幸せな光景が今でも目に焼き付いている。
レッド
1996年5月、ロンドンへのファンクラブ旅行でTHE YELLOW MONKEYカルトクイズというのが実施され、それで2位になったときの賞品でこちらをいただきました。“JAM”PVの中で真っ赤なジャムに?まれるちいさいおうちのひとつです。もとは鮮やかな緑の屋根でしたが、年を経てこんな色になりました。私が死んだら棺にこの子を入れて、一緒に燃やしてもらいます。
サナ
人生初のライヴでダイレクトキャッチしたものです。 高校生だった私はそれは狂喜乱舞しました。 厳しい部活に耐えれたのも、一人暮らしの寂しさに耐えれたのも四人のお陰だと思っています。 人生になくてはならない存在です。
yukie@tym
PUNCH DRUNKARD TOURの京都会館、当時の京都会館は33列目が最前列で、私は前方の列で参戦しました。 今でもあの興奮は忘れません。 メンバーの今でもよく拝見する4人が分割された写真があの日に撮られたものと知るのはもっともっと後になりますが、その写真がこの日と知った時により、思い出深いものになりました。
kawada
FM802主催の野外ライブMEET THE WORLD BEAT 95にTHE YELLOW MONKEYの出演が決まり、招待制ライブだったので友達にも手伝ってもらい応募ハガキを10枚書きました。ラッキーにも2枚当選!雨上がりの青空の下、THE YELLOW MONKEYがトップバッターで登場したときの歓声に「こんなにたくさんファンがいる!」とちょっと感動しました。
あのまろ
第一回フジロックのリストバンドです。 いやぁ、地獄でしたねぇ…。 一日中、雨に打たれ、ぬかるみを歩くのは体力をすごく消耗するんですよね。 theyellowmonkeyの登場する頃には疲労困憊状態でした。なかなか攻めたセトリだった記憶が。EMMAちゃんがめちゃめちゃかっこよかったことを憶えております。 帰りがまた、大変で…。とにかくツラかったことしか思い出せないです。 でも、行ったことを後悔はしてないです。 ある意味、貴重な体験ができましたね。
jamjun
30周年おめでとうございます! カセットテープを思い出の投稿とさせていただきます。学生時代、吉井さんのオールナイトニッポンを毎週楽しみにしてカセットテープに録音していました。バイト先のCD店の方から当時のプロモーションテープも譲っていただき今でも我が家の宝物の一部とさせていただいています。
sumichin
ファンクラブの会報(28号)新春お年玉プレゼントに当選して戴いた、サイン入りのポスターです。入会して初めて届いた会報の内容の充実さと温かさに感動して、応募時に沢山感想を書いた覚えがあります。 当時の過密スケジュールの中、メンバー全員でサインしてくれたと思うと感激しかありません。私の宝物として大切に飾っています。
あにーのおパンツ
このハンドタオルはバスツアー付きのライブツアーで特典で付いて来たものです。 丁度、自分の20歳の誕生日にライブが観られてハンドタオルにもプリントされていてすごく祝福された気持ちになり、今も大切に保管しています。
ナ オ コ
この頃、『吉井和哉のオールナイトニッポン』を毎週聞くのが楽しみでした。 オールナイトニッポンを聞きながら吉井さんにお手紙を書いて、翌日ニッポン放送宛に送る…ということを毎週欠かさずにやってました(笑) 画像のカセットテープは、『吉井和哉のオールナイトニッポン』を録音したテープです。 再集結してからこのカセットを見つけました。20年位保存していた割には状態が良く、今でもちゃんと聞けるので、たまに聞いて爆笑しています。
ナ オ コ
住んでいた家の近所でCLIPSを購入した時、ビデオ上映会の招待券というのをもらったので、コロムビア(どこだったかは忘れてしまいました)まで見に行きました。 1996年1月の武道館ライブの映像を特大スクリーンで見せていただいたのですが、その迫力に激しく感動! 次のライブには絶対に行ってやる!と思って、petticoat laneに入会したのを覚えています。 この写真は、この日の上映会の最後にあった抽選会で、運良く当選した鬼平のバッチです。わたしの人生を変えた日の思い出として、当日の整理券と一緒に、今でも大切に保管しています。
kawada
カセットテープに入れたいTHE YELLOW MONKEYの12曲を選ぶという雑誌での企画があり、当時のライブのセットリストをイメージし、タイトルも考えて応募したところ、アニーに選んでいただけました! 告知にはサイン入りポラロイドをプレゼントとあったのですが、なんとアニー手書きのカセットレーベルまで同封されていて大感激!今でも大切に保管しています。
メグペンギン
既に存在を忘れていた「モコタンシール」を、ある日お宝ファイルから発見する。1枚は保存用にする為2枚購入していたようなのだが、結局どちらも使わずにそのままのキレイな状態で保存されていた。その時、あの頃の自分を目の前で見たような懐かしさで胸が熱くなった―。そういえば、ゾノープーの目覚まし時計みたいのも持ってたっけ!どっかにあるはずだけど??
メインマン
1999年12月妹が発売されたばかりのシングル「バラ色の日々」を入院している私に届けてくれました。 病気が治って12月28・29日の2公演へ行けるように日々願いながら、HEART BREAKの「早くよくなろう」という歌詞に励まされ、ようやく退院。 その後妹も「バラ色の日々」を買ったというのでCDを見せてもらうと何かが違う!なんとEMMAさんがバラを持っているレアなバージョンでした~運命は悪戯!!
odakana
もう四半世紀前になろうとしています。震災翌年の淡路島北淡町での震災復興コンサート。小さな小学校の体育館がライブハウスのようにらなり、当日招待された新成人さんの晴れ着も華やかでした。島に住む私にとって忘れられない思い出となっています。薔薇色基金の原点ともいえるライブに参加できてとても光栄でした。あの時、淡路島に来て下さりありがとうございました。
yukie@tym
Petticoat Lane de公演 あの日を忘れない。武道館のあの空気、圧巻の世界観。私は、Petticoat Lanerとして参戦したあの時を絶対に忘れない。 あの日、毛皮のコートのブルースを聴いた瞬間、私はこの歌を聴くために生まれてきたのではないかとさえ思った。。きっとそうだったと今も思う。
☆ゆき☆
高校の文化祭の準備をみんなが頑張ってしている横で、イエローモンキーファンだった友達と紙粘土で一生懸命メンバーを作りました(笑) もちろん文化祭には全く関係ありません(笑) この時の友達とは、20年以上たった今でも仲良くイエローモンキーファンです!
maja
ヒーセが当時やっていたFM NACK5の毎週の放送後に取り寄せできたFAXサービスです。これは95年で、翌年の全方位開放の武道館の案内も読めますね。今はSNSとかこのサイトで情報を得たり見たりしてますが、FAXということで、ヒーセの直筆が貴重ですし、私たちファンのイラストとかもかわいいですよね。今でも大切にしています!
YURI
JAM Tシャツを恥じる事なく隣町の祭りに着て行ったおそらく97年5月。実家建て替えの時捨ててしまったのが悔やまれます。。また販売してくださーい!大きいサイズでね。笑
YUKARI☆TOY
93年ジャガーに一目惚れし、イエローモンキーに出会った私。 まだその時は中学生。 ラブコミュで完全に沼にハマり、95年4月11日の武道館のチケットを徹夜でチケットぴあに並んでチケット取った! 席は良くなかったけど、これが初めてのイエローモンキーのライブ、最高でした!忘れられません。 この年に高校生になりバイトを始めて、この後は自分の稼いだお金でたくさんのライブに行きました。 今、長女がこの時の自分と同じ年になりました。 これだけ年月が経っても未だにステキなメンバー!いつまでも追い続けます!愛してます!
ぽんり
初めてのイエローモンキー は忘れもしない1995年11月10日群馬県立女子大学の講堂でした。チケットは既に完売でしたが、友達にお願いをして一番後ろの通路で立見をさせてもらいました。そこから間隔を開けずにいろんな会場でライブを観ましたが、一番前のど真ん中の席が思い出です。吉井さんのファーレンハイトが香るその席で、緊張したことを覚えています。 いろんな会場で見よう見まねで覚えた振付けをメンバーの目の前ですることが、なんだかとっても恥ずかしかったです。あぁ懐かしい。。。
ロデオパンタロン
人生で初めて行ったライヴ。 その日は部活で練習試合して部活が終わった後、制服のままバッシュを持って日本武道館へ行きました。 ドキドキしながらその瞬間を待ち望んでました。 そして生のTHE YELLOW MONKEYを観た瞬間、まさに超最高でした。 一生の思い出であり、一生の宝物になりました!
はるそ
1995年3月22日広島のLOVECOMMUNICATIONツアーが私の初めてのLIVE参戦でした。 イエローモンキーを私に教えてくれた当時の彼と行くつもりが、その前にフラれてしまいました。 傷心なまま参加したLIVEでしたが生で見たイエローモンキー、迫力とパワーで憂鬱な気持ちは飛んでいきました! 赤いスーツの吉井さんが目に焼き付いてはなれません。
ひいろ
音楽に疎かった中学生時代、友達が鼻歌で歌っていた曲が気になり、誰の曲?と尋ね、「THE YELLOW MONKEYだよ」と言われた時の衝撃は今でも忘れません。 その後、高校に入り、他校の友達にライブに誘われ行ったのが、FIX THE SICKS 横浜アリーナ1日目。正直メンバーの名前すら知らないまま、アルバムも聴かないままでしたが、新しい何かが私の中で目覚めた瞬間、全てが初めての体験で怖いくらい高揚しました。MCの内容の意味もわからなかったウブなあの頃から20数年、たくさん学び?健全に成長しました??
くま子
あれは1996年にポップジャムの公開収録が当たり、友人と学校帰りに制服のままNHKホールを訪れた時の事。私は友人について行ったただの同行者でした。しかしそこでイエローモンキーと出逢ってしまったのです…まずメンバーのカッコイイ容姿と演奏に頭を殴られたような衝撃を受け、その日はイエローモンキー以外の記憶が一切ありません(笑)そして帰宅してまず母親に「今日デヴィッドボウイみたいな人が居た」と報告しました。当時はまだ吉井さんがボウイのファンとは知らなかったけれど、ひと目観てそれを感じてしまったのでした。ボウイの大ファンだった母もイエローモンキーの魅力にハマり、いまだに親子でLIVEに参加しています!
はなころく
95年の真夏の暴走ツアー、富士急ハイランド コニファーフォレストのLIVEに行きました。夕焼けの中で観た追憶のマーメイド、メンバーと曲と景色、全ての美しさが重なった瞬間が忘れられません。今でも追憶のマーメイドを聴くとあの瞬間に戻り、おセンチな気持ちになります。他にも何度かLIVEに参加していますが、あの瞬間が一番特別な思い出です。
ナオブリ
98年に出会った人がTHEYELLOWMONKEYが好きだという事で自分もFOUR SEASONSを持っていると話したのがきっかけで、おすすめのSICKSを借りたりして度々会うようになり付き合いました。再集結後のLiveは夫婦で行っています。
みぃ7
初めてのライブ参戦は、パンドラツアーのNHKホール。 小6で、太陽が燃えているをテレビで見て稲妻に打たれ、ライブは高校生になってから!という親を説得して初めて生で見たTHE YELLOW MONKEY。 当時中学3年生、おしゃれして、ちょっと大人になったような…そんな気持ちもぶっ飛ぶほどかっこよかったのを覚えてます。 一緒に行った友人と中学の教室で、見して見してを歌ってたのも、ちょっと恥ずかしくてよい思い出!
チカ☆☆☆
97年のUKツアーでロンドンアストリアで観たLiveはまた格別でした。ホールの雰囲気もとても味わい深くてステキな空間!!そんな中で英語歌詞の『Love Love show』は勢いがあって、力強くてまるで違う曲に聴こえました。あの時のLiveの気迫は忘れられない!!このツアーに参加できてイエローモンキー のファンで本当に良かったと心の底から思えた体験ばかりでした!!たくさんのステキな思い出ばかりのUKツアーでした!!
チカ☆☆☆
96.97年とずっとLive tourをしていて、どんどん人気も出てきてホールも大きくなっていって。とにかく観るだけで楽しくて嬉しくて!!あの頃シークレットゲストでラママにも出てる時があって、友達に教えてもらっていくことが出来た初ラママは、何回もLive観てるのにカラダが震えました(笑)カッコ良かった~!!ファンの皆さんの熱気も凄くて、寒い時期だったのに汗だくの思い出。
黒猫ヤマト
モジャ公というテレ東のアニメを保育所から帰宅して夕食を作る間に娘が観ていました。主題歌 CHU- CHU- CHUの作曲がEMMAちゃん、編曲が三国さんという豪華な顔ぶれにイエモン 何なん?と不思議で仕方ありませんでしたがQueenのようなギターが炸裂、めっちゃカッコいい曲で子供アニメなのに私もOP夢中で観てました。ライブでぜひ演って欲しい曲です。
フリーージア
当時、中学生だった私は、テレビでJAMを聴いてTHE YELLOW MONKEYの虜になりました!お小遣いを貯めてCDや雑誌などを買い、それは今でも色褪せず大事にとってあります。初めて参加したliveパンチドランカーツアー鳴門公演で1列目が当たった時の感動は忘れられません!目の前にメンバーがいる事が信じられませんでした!それから20年以上経ち母となり、今もTHE YELLOW MONKEYが大好きです!
カフェママ
初めて曲を聴いたのは、95年の夏休み。彼氏の部屋で音楽を流していて、ふと気になる歌が…彼にたずねると、「イエローモンキーって言ってな!このバンドはベースがすごいんよ!!」と食い気味に、熱く説明されました。その後のギターもすごい!の話はあまり覚えてませんが(エマちゃんごめんなさい)、その時の歌がLove communicationでした。 その翌月には地元の夏フェス、そのまた1年後に野生の証明ツアーに参戦し、沼へズブズブ(笑)。 初めて参戦した時、3列目のど真ん中!!もう目の前ですよ!吉井さん&エマちゃんの絡みと、後ろを振り返った時のワイパー…今でもはっきり脳裏に焼き付いています★
和江
私がイエローモンキーと出会ったのは高2の時でした。その後「BURN」を初めて買いました!当時から私はアニーさんの大ファンで、そして高3の時に新任で来た社会の女性の先生がアニーさんにそっくりだったのです!授業中に「先生、本当にアニーさんに似ているなぁ~…」と、ぼーっと見ていたら、いきなり当てられてとにかく驚いたのが忘れられません(笑) 心の中を見られたかと焦りました! でも今でもいい思い出です。イエローモンキーをずっと応援していきます!
AICN
小学生の時にアニメのエンディングテーマで流れた『Tactics』を聞いて「こんなにかっこいい曲がこの世にあるのか」と衝撃を受けました。 でも当時は自分でCDなど買えなくて、バンドという概念もなかったのでそれきりだったのですが、同じくらいの時期に兄がお風呂場で毎回『JAM』を熱唱してるのを聞いて「なんていい歌なんだ…」と同じく衝撃を受けた曲がまさか同じバンドで演奏されていたとは、大きくなってバンド休止後にやっと知りました。 当時リアルタイムで応援できなかった分、今は全力で応援させていただいています!
間者猫
95~96年頃は、まだパソコンやインターネットが普及していなかったので ペチコートレーンの専用ダイヤルでメンバーのTVやラジオ出演情報を聞いてメモを取っていた記憶があります。 音声の質も良くなかったのですが、バックにその時々のシングル曲が流れていることで、さらに聞き取りにくくなっていました(笑)。受話器を持ちながらペンを片手に出演情報のメモを取る。とても懐かしい思い出です。
チカ☆☆☆
97年8月のUKでの『ミックロンソン メモリアルⅡ』ゆかりの地HULLでのLiveは、観客の多くは現地のお爺さんやお婆さん、家族連れもたくさんいて。皆さんイエローモンキー やファンの私達も温かく迎え入れてくれて、街並みや空気感すら東洋から来た私達を優しく包み込んでくれるような本当にステキなLiveでした。当時、厚底ブーツが流行っていてもちろん私も履いていて。現地のお爺ちゃまが『君の靴はカッコいいね』と笑顔で褒めてくれました。それも忘れられない思い出の一つです。メンバーが現地の金髪イケメンの更に上をいくカッコ良さに、ファンとして誇らしくて!!!ロンドンのディナーショウ(笑)も貴重な体験でした!!
にゃんぽこりん
97年頃、当時ほどほどのイエモンファンだった私は、台湾旅行の際に現地版の「単曲精選集」を買いました。「Romantic Taste」から「SPARK」までのシングルとカップリング曲が入っているという独自の構成で、これを聞くうちすっかりディープなファンになりました。 ただ、台湾仕様でフリガナつきの歌詞カードが微妙に間違っていて、JAMの最初は「暗い部でひとり」。惜しい! コロナが収まったら、海外ツアーで台湾に行ってほしいなと思ってます。
kaori_tym5
YELLOW MONKEYとの出会いは96年、毎日のように有線から流れてくるJAMでした。当時中学生だった私はその歌詞に心を掴まれ、母に「すごい歌詞の曲がある!」と興奮気味に報告したのを今でもよく覚えています。本当はもっと早くYELLOW MONKEYの魅力に気付きたかったと悔やまれますが、出会いが王国の国歌というのも幸せなことです?
ちゃんゆき
今は亡き広島ネオポリスホールのフライヤーだ!嬉しい~、行ったよー、探せばこのフライヤーあるけど探したらお部屋が大変な事になるッ
おもち2
1995年の夏の蒜山高原の今で言うフェス。(たぶん無料) その年始めのライヴを広島で観てから虜になり、その当時彼氏だった今の主人と車で岡山まで行きました。 イエローモンキーの人気もわからないまま、会場に着くとすごいファンで、鬼平のTシャツやうちわを持っている人がたくさんいて。「イエローモンキーのグッズにあんなのがあるんだー。欲しいなー」と、羨ましかったのを思い出します。 smileからファンになったので、その時のステージとても楽しかったのを覚えています。あれから25年。 ずっと大好きです!
2000-15
BELIEVER. COMMENTS
BELIEVER.さん
当時すごく気に入っていたネイルの写真を発見。
BELIEVER.の皆さんから
の投稿写真を掲載!
BELIEVER.の皆さんからの投稿コメントを掲載!
づめ
2013年に上映されたパンドラを見に行った時の写真です!私が2歳の時にイエローモンキーは活動休止していて、6歳の頃には解散していたので完全に後追いでした。ファンとしての活動は家で曲を聴いたりライブ映像を見るくらいで、こうやってどこかに出向いて行く機会があるのはとても貴重で楽しみでしかたなかったのを覚えています。まさか自分がイエローモンキーのライブを生で見ることができる日が来るとはこの時は思いもしませんでした。当時私は中学生で、同世代にファン仲間が全然いなくて寂しかったのですが、再結成した後にどんどん若いファンが増え、嬉しい限りです??
オランジェ
イエローモンキーの20周年記念企画として世に出た、多彩なアーティストらによるイエローモンキー唯一のトリビュート・アルバム。この年はいろいろな企画による作品のリリースがあったが、当時はイエローモンキーが無かったので、思うところはあったが、この作品を通じてイエローモンキーを知った若いファンが多かったと思うのと、再集結後の今聴くと、心から楽しめる作品になっています。
ハルキック
2000年、私は大学1年生となり、THE YELLOW MONKEYのコンサートにたくさん行こうと思いましたが、まさかの活動休止。バイト代とお年玉をつぎ込んで、スプリングツアーの大阪城ホール、人生始めての大阪ドーム、東京ドームに参加しました。 私はバンドでドラムを担当してましたので、アニーさんのグッズを買い込みました笑 タンクトップは4枚購入笑、スポーツタオルは2枚書いました笑 Tシャツは1枚づつですが買いました。 今でも自分のバンドライブやTHE YELLOW MONKEYのライブにはタンクトップとタオルを持って参戦してます。
miko970507
胸が苦しくなるシーンもあったけれど、メンバーの笑顔とスタッフの方々のお話が絡み合って、ただの記録でも思い出話でもなく、今に続く物語に思えて感動しました。特別な日々を形にしてくれたことがうれしかったです。
僕ら君の味方だよ
「MOTHER OF ALL THE BEST」私の宝物です。これは解散発表直後に公表された、メンバーによる初の選曲・監修のベスト・オブ・ベスト。選曲と曲順に1ミリの違和感もない文句なしの作品。ベスト盤が「NAI」で始まることで、モンキーはもう無いんだという現実を突きつけられましたが、活動休止・解散のショックにも関わらず、これだけはまるで忘れ形見のように、大切に大切に、本当にたくさん聴いて、モンキーのいないつらい時期を生き抜く支えになっていました。Live Loudも最高ですが、初心者の方にはこちらもオススメです。
391018
ミレニアムキャット とても大切な家族です。 ジュディー
モモタロウ
2001年1月8日「メカラウロコ・8」に行った時、東京ドームホテルの部屋から、DJブーン発見。急いで会いに行って2ショット撮ってもらいました(^^)v 今でも、当時のDJブーンの鏡は現役です。
美桜
2001年1月4日の大阪ドームが私の解散前の最後のライブでした。お正月に友達とスノーボードに行っていて、4日の早朝に家に着いて仮眠をとって大阪ドームに向かう予定でした。ところが、3日の夜から大雪で高速道路が通行止めになってしまい、立ち往生。気が気じゃなかったのですが、なんとか一般道に抜けてギリギリお昼に家に着いて、急いでシャワー浴びて大阪ドームに向かいました。大阪ドームに着いて、ライブ前にトイレに行った時に、写真のバングルを落としてはいけないと、外して置いたら忘れてそのまま出てしまいました。後で気づいて急いでトイレに戻ったらそのままそこに残っていて、無事に手元に戻ったという思い出の一品です。
よしぷ
2001.1.8の東京ドームにて、吉井さんが、ゴールドのジャケット(ジャージ?)を脱いだ時「同じの持ってるー!!!」でした。先日布の販売がありましたが、決してその時の布でつくったものではありません。20年以上前に購入したバッグのです。解散している間も捨てれませんでした。今となってはどこで買ったものか覚えてませんが…、どこで仕入れた?衣装だったのか教えてほしいですー(笑)。
yukie@tym
私がこの宝物を当時手にした時、THE YELLOWMONKEYに出会えてよかったと心から思ったと同時にやっぱり辛くて悲しくて受け止められなくて、またこの数字が動き出すことを祈らずにはいられませんでした。
ゆちゃん1310
高校生になり、「これからライブたくさん行くぞおおお!」と意気込んだ矢先の活動休止発表(泣) メカラウロコ8開催発表は、ライブに行ける嬉しさや幸せよりも寂しさや不安の方が大きくなってしまった思い出と共に、メンバープロデュースグッズは嬉しくて嬉しくて!! 大好きなEMMAさんのブレスレットや携帯ストラップ、キーケース、Tシャツと今もまた発売してほしいなーと思うものばかり。 ブラックオニキスのブレスレットは当時毎日付けていたのでボロボロに( ; ; )予備のもう1つは2016年の再結成1発目の代々木に付けて行き、当時の若い気持ちを思い出しました。これからもずっと宝物です。
maiko
2001年、活動休止中に刊行されたEMMAさんの著書「菊地英昭 LET THE MUSIC DO THE TALKING」のサイン会に当選し、当日は仕事を早退し関西から上京しました。著書に限らず自分の好きなものにサインを入れていただけるというびっくりするような太っ腹企画でした。悩んだ末にご本のカバー裏写真を元にした似顔絵を描いた色紙にサインしていただくことに。東京に向かう新幹線車中で仕上げたのもいい思い出です。そしてサインに添えて下さった”The Yellow Monkey”の文字に休止中~解散、そして再集結に至るまでの15年間ずっと支えられてきました。信じて待ち続けて本当によかった!
はるぴょん
記念すべき2000年の第1回ロッキンに参加しました!暴風雨の中で絶叫するように歌うLOVINと、ノーテンキに踊るDJブーンが対照的でした(笑)その時いっしょに参加した彼氏は、今の旦那です!結婚して20年。絶賛倦怠期ですが時々この時の思い出を語り合ったりします。私たち夫婦の仲を取り持ってくれてありがとうございます(笑)
僕ら君の味方だよ
活動休止直後の「プライマル。」明るい曲調で「さようならきっと好きだった」突然つき放され悲しくてめちゃ泣きました。カップリングの「ネバーギブアップ」がカッコよすぎて、ムカついてました。解散後FC会員に贈られた豪華記念本。再集結後にこの本の制作テーマが「卒アル」だったと知り「卒業おめでとう」の意味を噛みしめました。解散は強制卒業だったわけですが、私は卒業しなかったので今、何年生でしょうか(笑) あんなにきらいだった「プライマル。」今では大好きです。モンキーのそういうとこ、悔しいけど大好きです!
gin0821
当時は田舎に住む小学生で、ライブに行くにはハードルがいくつもあった頃。初めて、メンバーとファンの方たちと同じ時間にライブを観られるというのがこの時の生放送でした。 初めて観る「今やっているライブ」に釘づけになり、録画したビデオも擦り切れるまで観ました。 当時、クリスマスプレゼントとお年玉と誕生日プレゼント分を合わせて、メカラウロコ8のグッズを買ってもらった記憶があります。 再集結後、自分のお金でチケットも買えてライブも会場で観られて、グッズも買うことが出来るようになった今も、この時に初めて買ってもらったグッズたちは私のイエローモンキー ヒストリーの中で特別なグッズです。
すばる@生きてて良かった
高校生の時、真冬に1人で行ったメカラウロコ8は、希望も絶望も興奮も折り混ざった、今でも一番好きなライブです。 メカラウロコ8があったから今の私が居るんだと思っています。ありがとう。
のりこ(≧∀≦)
2004年12月26日東京ドーム、EXHIBITION AND VIDEO FESTIVAL OF THE YELLOW MONKEY メカラウロコ15 とても辛い日でした。ライヴで知り合った仲間とわんわん泣きました。衣装や楽器、グッズやパネルを観ながら複雑な気持ちでいました。その時撮った物とパスです。あの時のステージに立ったメンバーの姿は今でも目に焼き付いています。4人でいるステージのメンバーが大好きだったから辛かった。その後楽曲は聴けなくなり、仲間と連絡を取らずに過ごす日々。今再結成してくれて、ステージに立つ姿を見れてとても幸せです。こんな時もあったなと思い出すことができるようになりました
僕ら君の味方だよ
最大の出来事はTHE YELLOW MONKEYの解散でした。活動休止については予感があったので「しっかり休んで戻ってきて」と受け止めることができましたが、解散はショックすぎて前後の記憶がありません。解散を受け入れることが出来ずに月日は流れ、捨てることが出来なかったこの手紙は私にとって今でもとても大切なものです。メンバー、事務所、FCからの正直な言葉が綴られており、全員がバンドを愛していたことが痛いほど伝わり、今読んでも泣いてしまいます。
ピノタージュ
初めてライブに行ったのが解散前の最後のライブ2001.1.8.その時に初めてグッズをライブ後に買ったのがEMMAと刺繍されたTシャツと、DJ.BOONのボールペン。Tシャツは20年たった今も現役で着用し、ボールペンは使わず大事にしまってます。他のアーティストのライブでもグッズはほとんど買わなかったけど、何故かこのグッズを購入し、ずーっと大事に持ってたのが今思うと不思議です。今に繋がるなにか運命すら感じました。唯一第1シーズンのグッズはこれだけですが、今も現役でいることがとても嬉しく思います。ボールペンはこのまま大事にしまっておきたいと思います。
ひとみんたろう
活動休止前、旧大阪ドームで観たメカラウロコ8のライブチケットと公演中に天から降り注いできた紙吹雪です。 参戦した紙チケは全て保管してますが、これだけ丁寧に封筒に入っててなんでだろ?と思い、封筒は処分してチケットだけ残そうとしたら中から紙吹雪が部屋に舞い慌てて回収! 危なく思い出の品を処分してしまうとこでしたが、無事宝箱に再びお眠り頂いております!
EMARINE
ミッチさん撮影の写真集と15YEARSアーティストブック。この3冊が私の心の支えでした。子供が幼児期でライブを我慢している時にまさかの解散‥‥長い空白の期間も写真集をめくればライブの音が聞こえてくるよう。インタビュー記事を読んでる間はバンドも続いているよう。私、空想家で良かったです。それもこの3冊のおかげ!おかげ様で十数年後には本当にライブに行けたのですから御利益ありました。
Hanae
第1回目のロックインジャパンフェスにはるばる大阪から参加!どうしてもイエローモンキーが観たかったので、実は仕事ズル休みしました。1日目は晴れた暑かったのに2日目は台風の影響で悪天候、イエローモンキー登場の頃にはかなり風雨が激しくなりましたが、却ってメンバーもお客さんも一体になって盛り上がりました。特にパールとバラ色の日々は未だに覚えています。吉井さんのジャージ姿は天気のせいかな?と当時は思っていました。笑
もちめろ
京セラドームに飾ってあるメンバーの手形。現在はガラスでカバーされていますが、以前はそのまま飾ってあって、自由にお触りできたのです。メンバーの手形に手を合わせるのなんだかドキドキしました。
もちめろ
SHOCK HEARTSとマツキヨのコラボ。当時近くにマツキヨがなかったので、電車に乗ってマツキヨまで行った懐かしい思い出です。永井豪先生のイラストは学生だった当時はちょっと恥ずかしかったな笑
camellia
初めてのTHE YELLOW MONKEY のライブが メカラウロコ・8。前日の夜からドキドキしてなかなか眠れませんでした。当日はオープニングからあまりのかっこよさにすでに涙目。真珠色の革命時代~パールライトオブレボリューション~の美しさにまた涙。「我がイエローモンキーは永久に不滅です」のセリフをずっと胸に秘めてきました。本当におつかれさま。 そして、おかえりなさい。ありがとう。
じうん
解散前のTOKYO DOMEでのライブ、ライブのために初めて東京に行って、会場の大きさに圧倒されました 解散になった時は、悲しくて立ち直れなかったけど、あの時行ってきて良かったと思ったものでした 昨年のドームライブは会場に行けなかったので、また必ずナマで感じたいです メカラウロコのTシャツをいまでも普段着に着ています
ひとみかん
SPRING TOURの時に、何となく今までとメンバーの様子が違うなって1%の不安を感じながら帰った思い出。そして翌年の大阪でのメカラウロコ8は、ほとんど記憶がないです。今観ると凄くいいライブなのに。大阪ドームのライブ終了直後、迎えに来てくれた家族がちょうどドームの通用門から車に乗り込み慌てて過ぎ去る吉井さんを見たと言っていました。それを聞いて、また胸が痛くなりました。でも今ではそれもいい思い出となり、こんな風に話せるようになった事が最大の喜びです。あの頃の自分に言ってあげたいです。「ちょっとだけ我慢してね。大丈夫だから」って。
あっき
メカラウロコ・8東京ドームのチケットと会場から持ち帰った紙吹雪です。 休止前最後のLIVEなので、なんとしても行かなくてはと、姉と2人札幌から初遠征しての参加でした。 その後解散してしまった時は、ほんっとに行っておいて良かったなと思ったのを覚えています。 今でも姉妹揃ってファンです。
akemick
FC入会(継続)の申込書。自分が入会した94年から全部大事に取ってました。これは2000年のものだと思います。
須藤 健
確か 2014年にHEESAYアニキのベースレッスンでアフターにサインしてもらい 図々しくもイエモン再集結について聞いてしまいました。 アニキは苦笑いしてましたが もうこの時点で 再集結に向け 動いてたんだな と。 極秘事項(だったと思う)なだけに そりゃ苦笑い しか出ませんよね? とにかく アニキの人柄(人徳)にやられて ほとんど ベースレッスンにならなかったのを 覚えてます。
まぁや
来てしまった解散のお知らせのお手紙。 メンバーからのメッセージも。 いつも丁寧な文面でした。胸が締め付けられるような気持ちでもあったけど、ずっと見守っていきたい、好きでいたいと思ってました。 だからまた会えたのかなと思ってます。
ムーンライトKANJI
台風直撃のROCK IN JAPAN FESTIVAL 2000に。雨風が強くなっていくなかで順番が来たら、なんとアニーが短髪に。ライブは楽しいのに、なにか不穏な空気に不安がよぎったライブ。そしてその後の休止宣言。 メカラ8は、一曲聴くたびにカウントダウンの寂しい思いが。メカラ15はサプライズも本当に終わりなんだと実感。それからの十数年、心の片隅でずっと望んでいた再集結が叶い、夢の続きへ。 ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2000と他一か所でしか演奏していないネバーギブアップを生で聴いたのが今でも自慢の僕です。
のりこ(≧∀≦)
曲の始まり方も、MVも大好きなSHOCK HEARTS。DJブーンのぬいぐるみは大きさも手触りも良くて今も飾ってます。最近復刻版もでましたね。 この曲を歌っている時の、LOVINの楽しそうな表情を観るのが幸せで、ライヴでこの曲が始まるとテンション爆上がりです!
まぁや
2004年11月26日 bowinman information 最終号。 いつも楽しみにしていたお手紙も最後に。 たくさんのチラシと、この裏にはソロで始動するヒーセとロビンの活動もインフォメーションとして載ってました。メンバーへの愛がたくさん詰まった最終号だと思ってます。
まぁや
《Petticoat Lane PRESENTS THE EXHIBITION AND VIDEO FESTIVAL OF THE YELLOW MONKEY メカラ ウロコ・15》の 思い出の品。出産した年で、ギリギリで行ったので、パンフとオレンジ色のbowinman のシャツしか買えませんでした。ガラケーでたくさん写真を撮ったものの画像はなくて。 手首につけたチケット代りのブレスレットと、会場図、半券、翌日スポーツ紙に載った切り抜きです。JAMの歌の後、呼び戻したかったけど、私は涙も声もフリーズ状態で出ませんでした。久しぶりに見て驚いたのはチケットが2000円だったことです!
まぁや
2010年ユニクロとのコラボTシャツ。 唯一買えたパンチドランカーシャツ つい最近まで主人の寝巻きになってましたが、 保管するため取り上げました(^^) クシャクシャでごめんね
ハッピーターン
1月4日の大阪ドームでは、なんだかお別れライブのように感じて寂しくなったのを覚えています。でもPetticoat Laneから届くお正月グッズが心の支えになりました。今でも宝物です!
nbe
2000年スプリングツアーのチケットです。他のチケットは見当たらないのにこれだけは残っていました!
MGMS
30周年おめでとうございます!私も参加させていただきます。 駆け込みのため中々見つけられず、こちらを投稿させていただきます。 写真撮って20年経って知った事実。ロビン作鬼平ハンカチにあのキャラが混ざっていたなんて笑 土車大八先生のピンクのイエローモンキー 本もありましたね。先生の絵でユニークな注意事項を思い出します。2つのハンカチにNO.9 NO.36と書いてありますがどんな意味だったのかな。
1008EMI
今も部屋に未開封で飾ってあるフィギュア。(2000年以降?)パンチドランカーツアーでノックアウトされてから今も大、大、大好きだよ~!!
ai0311
2000年のSPRING TOUR、4月15日の大阪城ホールでの写真です。もう20年以上も前だなんて自分でも信じられないぐらい最近のことのようです。 この頃はネットも普及していなかったのでファンクラブの友達募集で知り合って仲良くなった友達と色んな場所へライブを観に行ったり、ライブが終わってそれぞれの家に帰っても手紙やFAXでやりとりしたりして、頻繁には会えないけど強く強く結ばれた絆で楽しい時間を過ごすことができました。 活動休止が決まってからは疎遠になってしまいましたが、何かをきっかけにまた会えるといいなぁ。みんな元気かなぁ。
あちょ
メカラウロコ15東京ドーム。DJブーンがファンの方々と記念撮影してました。アップで撮ったブーンちゃんが可愛くてお気に入りです。グッズで出たブーンのコップは今でも使っています笑
はるかぴょん
活動休止前最後のライブ。 しっかり目に耳に焼き付けておこうと心に誓って東京ドームに向かった。 あまり書くと辛くなるので、多くは語りませんが(笑)、ラストの「WELCOME TO MY DOGHOUSE」の時はこのまま曲が終わらなければいいと強く願ったり、胸が痛かったけど、心に刻まれたライブでしたね。 今でも「悲しきASIAN BOY」の時の紙吹雪を大切に取ってあります。
和香
パンドラ、何度劇場に通ったかわかりません。何度観に行っても毎回大好きな気持ちが止まらなくて、辛くて苦しくなって涙がボロボロ止まりませんでした。 今4人が笑顔で幸せでいてくれたらそれだけでいいです、何も望みませんって、心から祈るように観てました。 有賀さんが最前列でライブ映像の度にリズム刻みながら観てて、本当にこのバンドが大好きなんだって伝わって感動したのも忘れられません。 (でもこの裏では、実は再集結に向けて動き出していたなんて、この時夢にも思ってませんでした!) 現実も夢も絶望も希望も、沢山の気持ちをもらってます。 これからも、その時一瞬一瞬を大切に一緒に生きていけたら嬉しいです。
和香
2007年のヒーセの、ベース教則DVD記念イベントのサイン入りDVDとピックです。 優しく一生懸命沢山の話をしてくれるヒーセの魅力にメロメロでした。 最後に『11年前の曲です。11年前の吉井和哉とお兄ちゃんと弟の声と音と一緒に、俺だけ11年たっちゃってるけど‥(笑)そんな11年後のセッションっていうのもいいでしょ!』って、「楽園」を生演奏してくれました。 11年という時と曲の重さと、バンドを今も心から大切に思うヒーセの気持ちが伝わって、嬉しくて幸せで奇跡みたいなセッションに涙止まりませんでした。 そんなヒーセが大好き!
麗しのひとちん
メカラウロコ15のチケット。これを見るだけで色々思い出して切なくなります。今があって良かった!
寛子
活動休止の頃にファンになり活動再開を心待ちにしていました。時期的にPetticoatLaneには入会できず、当時は今ほどネットが身近ではなかったので、解散の事実は発表の2、3日後に知りPCの前でひとり泣きました。そしてメカラウロコ15は地元新潟と東京ドームに参加。最後のJAMはイントロから嗚咽しました。あの日ほどライブで泣いたことはまだありません。2004年12月26日は最愛のイエローモンキーを生で見た最初で最後の日になってしまい、嬉しくもありでもとても悲しく長い間トラウマのような気持ちになっていました。でもあの東京ドームは最後の日にはならなかった。ずっと好きでいてよかったと心底思っています。
麗しのひとちん
20周年のグッズ。解散していたけれど、THE YELLOW MONKEYの名のついたものを買えることが嬉しかったです。
麗しのひとちん
SHOCK HEARTS発売時のマツキヨとのコラボ。きちんとファイリングしてあります。
タソガレ
2000年8月6日 石川県 POPHILL2000のチケットです。 ライブに行けるのなら暑さや車の運転も何のその。 メンバー登場までのワクワク、カッコいいステージに魅了されました。 トリの奥田民生さんの「マイクスタンドの高さの違い」に笑わされ、長時間ライブの疲労も吹っ飛びました。 日付が変わっての帰宅、野外ライブで大変でしたが今となっては楽しい思い出です 笑
kawada
解散後にファンクラブからいただいた冊子と呼ぶにはあまりにも豪華な本。解散は悲しかったけれど、最後までファンのことを思った対応をしてくれて、とてもありがたく感じました。
kawada
メカラウロコ8を観た時は、これが私にとって最後になるなんて思ってなくて。ロビンの「浮気してもいいから帰ってきてね」の言葉通り、しばらくはいろんなライブに行こうかなと暢気に思っていました。お互い帰ってこれて本当に良かった!
kawada
2000年のSPRING TOUR。 パンフレット、チケットとともにアンケート用紙も残しています。紙のアンケートも懐かしいです。書かずに帰ってごめんなさい(笑)
えす♪
FAN'S BESTのときのモザイクアート。期間限定だから保存しないと!とたくさん保存しました。同じ画面なのに(笑)このときに、ファンはみんな一縷の望みを抱いていたはずです。もちろんわたしも。
CANDAISHIN
自分がまだ3歳の頃、親が持っていたこの1枚のCDを車の中で聴いたのが私とTHE YELLOW MONKEYの初めての出会いでした。15年後ライブに行けるとはつゆ知らず……
koolkyo
2001年1月8日の東京ドーム公演。 当日子供が産まれたばかりで、もちろん遠征など出来ず、確か自宅でインターネット接続で公演を観た記憶があります。今みたいに高速回線ではなく、アナログで電話回線をPCに繋いで観た記憶があります。解散など考えてもいなかったので、まさか最後のライブになるとは思わなかった。その後再集結して、2017年の東京ドーム公演は当時産まれたばかりの、息子と行きました。またドームで会えると思っています。
タソガレ
DJブーンのマウスパッドです 可愛くて今でも大切に持っています
Kool Lovin
RED TAPE NAKED の先行上映会のときのもの。まさか自分が当たるとは思っていなかったので、一生の思い出です。最初に紫の炎の宮城公演の1曲目「Romantist Taste」が流れた時は驚きました!
Kool Lovin
メカラ ウロコ・15のときのもの。仙台の会場に足を運んだが、色々な展示品があったので、懐かしいなぁと思った思い出です。
Kool Lovin
マツモトキヨシでたまたま買い物をしていたらレジ袋でもらったもの。家に帰って袋をよくよく見たらSHOCK HEARTSのジャケット写真のものだったので、驚いた!
Yukorinrin
メカラウロコ15にて、DJブーンちゃんご本人にお会いしました。(ご本人?)今はちっちゃくなったブーンちゃんがおうちにいます。暗い人生の人の元へやってくるそうですが、今は(も?)明るく過ごしています(笑) イエローモンキーが帰ってきましたから! この日は圧巻の展示で、見たことがないものや写真がたくさんあり感激したのですが、終わりなんてもったいないと思いながら切ない気持ちでまわりました。でもファンへの思いがすごく伝わってきましたよ。『JAM』を聴いた後泣きながら帰る私に、妹が「彼氏を見つければいいじゃん」と慰めてくれた思いでぃがあります(笑)誰もイエローモンキーの代わりにはなれないのよ~!
ロデオパンタロン
当時のファンクラブから続いていますが、お正月になるとファンクラブから年賀状、もしくはメッセージCDが届けられていました。 毎年楽しみでお正月に贈られくるCDのジャケットではメンバーがコスプレをしてくれたりしていてそれを見るのもスゴく楽しみでした。 当時から今も尚、お正月もTHE YELLOW MONKEYから目が絶対に離せません!!
ひろめぐ
メカラウロコ15のチケット。これを見るだけで色々思い出して切なくなります。今があって良かった!
ひろめぐ
2001年1月4日大阪ドーム、2001年1月8日東京ドーム。これらのライブが終わるとイエローモンキーは活動休止が決まっていたので、初めてのドームライブなのに、さみしさと悲しさでいっぱいだった記憶しかありません。「悲しきASIAN BOY」で会場に舞い散った無数の紙吹雪が、せつない気持ちに追い討ちをかけてきました。 そして2004年7月7日、とうとうバンドは解散したけれど、嫌いにはなれなかった。私がイエローモンキーを知った95年以降に手に入れたCD、ファンクラブ会報やライブのチケットetc.何ひとつ手放さず全て持っています。大事に保管しててよかったです。これが2016年に繋がっていくんですよね。
ふみ☆
THE YELLOW MONKEYが再集結して、解散前に持ってた思い出の品を実家に慌てて取りに行った中に入ってた1つです(笑)中身を全く覚えてなく、夜な夜なPCで再生してみたら、当時、活動休止の発表がショック過ぎて、見てなかったことを思い出しました。メンバーの会話もいつもと変わらず下ネタ満載で笑った。当時はこんな日が来るとは思ってなかったから、笑いながら号泣した。再集結してくれてありがとうございます。 一生ついていきます。
もちめろ
情報料を支払ってFAXを受け取るというサービスがあり、2000年11月頃にロビンとアニーが出演されたラジオ番組で受け取ったFAXです。 私はTHE YELLOW MONKEYの曲は95年から好きだったものの、本格的にハマったのは98~99年頃。(もっと早く沼落ちすればよかった笑) 見た目はかっこいいのに「ボロは着てても心は綿」なんてお茶目なメンバーの人柄にもどんどん惹かれていきました。
ロデオパンタロン
2004年12月、東京ドームへメカラウロコ15を観に行った時、会場の外で当時のファンクラブ会員にだけ送られたプレゼント引き換え券で貰ったメモリアルアルバム。 THE YELLOW MONKEYの歴史、思い出が見れる素敵なアルバムで大切な宝物。 当日は会場でフィルムコンサートを観た後になんとサプライズでメンバーがステージに立ちJAMを熱唱。 その姿を見た時、心の底から超感動しました。
きじ☆ねこ
解散後にイエローモンキーにハマった私にとって「Romantist Taste 2012」は初めて買ったイエローモンキーのシングル。セクシーなデザインのジャケットを手にした時にやっとファンの一員になれたような感動がありました!生まれて初めて参加したイエローモンキーのイベント「リリースパーティー」は、映像作品を発売に先駆けて大音量&爆音で楽しめ、DJタイムはライブを疑似体験しているかのように大盛り上がり!さらにヒーセ&エマが登場してエアギター&エアベースを披露してくれるサプライズもあり、いつか必ず本当のイエローモンキーのライブを絶対体験したい!と熱い想いが膨らみまくった本当に夢のような一夜でした♪
きじ☆ねこ
解散後にファンになった私が、こんなにコアなイベントを観に行ってもいいのだろうか…とかなり悩みつつ、ものすごいドキドキながら観に行ったタワモン。会場で流されているライブ映像に魅入って放心し、まだ一度も生で観たことのなかった4人の衣装や楽器などの展示物にバンドの存在をとても生々しくリアルに感じ、壁に展示された大きな4人の写真に書かれたエマとヒーセのサインを見つけて、これは夢か現実か…感激しすぎてよくわからないふわふわした感覚で鑑賞していたことを覚えています。数日後に4人が揃って会場を訪れたと知り、4人揃った写真を見て、再び4人が揃ってステージに立つ姿を夢見て歓喜乱舞したのは言うまでもありません!
ねこだいすき
プライマル。のCD-ROMです。店舗限定で付属していて都心までシングルを買いに行ったような。 それをイエローモンキーダイヤルで知り合って文通をしていた人に送ったりしました。 中はスクリーンセーバーや壁紙ですが、スクリーンセーバーはSHOCK WAVEという昔の規格なので今見る事は出来ません。
ねこだいすき
2004年の東京ドームのエキシビジョンで、当時グッズのイラストを描いていた土車大八さんのコーナーで 撮影したポラにコメントを入れて貰うイベントがあったので最後なので奮発してやりました。 (顔はシールで隠しています) バックネット付近にブースがあったのでよく見ると後ろにステージのモニターが見えます。 いろいろ思う事があって会場では写真を撮らなかったので、唯一の思い出です。
ロデオパンタロン
THE YELLOW MONKEYが東京ドームでライヴを行うことがファンの僕にとっては夢だったので2001年1月8日はまさに夢の日でした。 しかもタイトルがメカラウロコ・8。 無期限の活動休止が発表された後だったので少しだけ淋しい部分もありましたが、前日はワクワクしてソワソワして眠れませんでした。 ライヴが始まった瞬間から超最高でした。 ラストで吉井さんが、私たち普通の野良犬に戻ります、我がYELLOW MONKEYは永久に不滅です!!WELCOME!!と言ったあの瞬間、僕は全ての力を振り絞り全力で応援しました。 歴史に残る超最高のライヴを生で観れた事を今でも誇りに思います。
ロデオパンタロン
2001年、メカラウロコ8を観に東京ドームへ行きました。 プライマル。は演奏されず、THE YELLOW MONKEYはそのまま無期限の活動休止に入りました。 どんな曲なのか?どんなPVなのか?発売日に実際に買って聴いてみたらめちゃめちゃ格好良くてめちゃめちゃ素晴らしい作品で超感動しました。 今でも新鮮に聴こえてくる超名曲です。 当時行きつけのCD屋さんでプライマル。を購入した時にポップを貰えたのはスゴく嬉しかったです。 今でも貴重で大切な宝物です。
yoiche
2001年1月8日『メカラウロコ8』のチケットと、悲しきASIANBOYの時のあの紙吹雪です。イエローモンキーがいてくれる今はもう、悲しき思い出ではありません。
ロデオパンタロン
SHOCK HEARTSリリース時、THE YELLOW MONKEYがマツモトキヨシとコラボすると発表され、発売日に行きつけのCD屋さんへSHOCK HEARTSを買いに行き、そのCD屋さんの近所にマツモトキヨシがあり、その足でGETした大切な宝物。 この袋を見る度にあの頃の記憶が思い浮かびます。 いつかまたコラボしてほしいと願ってます。
ロデオパンタロン
2001年、シングル、プライマル。をリリースしてから本格的に無期限の活動休止に入り、しばらくはTHE YELLOW MONKEYに会えない、ライヴを観れない、新しい作品を聴けない、そんな淋しさに包まれましたが、お正月になるとファンクラブ会員に向けて年賀状やCDを贈ってくれていたのは本当に嬉しかったです。 今でもお正月になると年賀状を贈ってくれたりしてファンを大切にしてくれてるんだな~と思います。 大切な思い出の宝物です。
hal
9999発売前に再集結を知り、アルバムを買うかとても迷っていました。そんな時リサイクルショップでPUNCH DRUNKARDを見つけ、振り返るために購入しました。ああやっぱり好きだ!と思い9999購入を決め、ファンクラブにも入りました。数か月後、CDケースの内側にEMMAさんのピックが入っていることに気付き、震える手で出してみると本物で、使用した形跡が!前の持ち主が入れたことを忘れ売ったんですね。おかげで偶然買った私の宝物になりました☆
でこっぱち2号
メカラウロコ・8 “あくまでも活動休止だから”とわかっていても『メロメ』のあとメインステージ戻る4人の白い後ろ姿を見ながら“この人達はこのまま帰ってこない”と思えて目に焼き付けねばと必死に大好きな『真珠色~』を聴きながら大泣きした。そして1枚の紙吹雪を持ち帰りました。
NOBUYA
ユニクロとのコラボTシャツです。一度も着ず、タグも外さないで保管しています。 解散したときはショックでしたが、後にリリースされたベストアルバムは、いつも車で聴いていました。 オリジナルアルバムに入っていない、MOONLIGHTDRIVEが入っているのを見て、テンションが上がったのを覚えています。 ユニクロでTシャツが発売されると聞いて、小躍りし、仕事終わりに急いでユニクロに買いに行ったのを覚えています。 再集結が発表されたときは、夢かと思いました。本当にありがとうございます。
kaori_tym5
再集結後からのファンですが、当時唯一持っていたアルバムが「GOLDEN YEARS Singles 1996-2001」でした。日常の一部としてYELLOW MONKEYを聴いていた世代なので、活動休止を知り「最後かもしれないから、このアルバムは買っておかなくちゃ」と購入したのを覚えています。4人のキメキメ、ギラギラのジャケ写も大好きです。このアルバムが最後じゃなくなって、本当に良かったです!!!
ゆかはん
大学院生の頃、"パール"を聴きながら夜遅くまで論文を書いていました。 "夜よ負けんなよ朝に負けんなよ 何も答えが出てないぢゃないか" このフレーズに何度励まされたことか!!! 社会人となり、もっとライブに行くぞと思っていたのに突然の休止~解散。 ソロ活動のチェックをするも、仕事も忙しく気持ちが乗らず。 音楽自体をあまり聴かない時期が続きました。 でも心の何処かにはいつもTHE YELLOW MONKEYの存在がいました。 写真はPetticoat Laneの解散にあたり頂いた冊子。 奥付によると73,996人もの会員がいたようで、沢山の想いと思い出が詰まってます。
シマ
大学の授業が終わり、アパートに帰るとPetticoat LaneからDMが届いており、封を開けると、活動休止のお知らせ。言葉はでなく、涙も流れず、ただただ呆然としていた事をいまだに覚えています。 2001年1月8日の東京ドーム。成人式と重なり行けず、WOWOWも加入しておらず、成人式も気が気じゃなかった事も、今となっては良き思い出です。
☆よっこ☆
2000年、第1回ROCK IN JAPAN FESへ行きました。台風の中のイエローモンキー。それでも私は、イエローモンキーを間近で観られた喜びしかありませんでした。色んな不穏な空気をバンドに感じつつも、それでもまだ私も若かったので(笑)嬉しい!楽しい!が優勢でした。 ヒーセがこのフェスについての特集号で『雨降って地固まる』と直筆メッセージを寄せていて。 色んなことがあったけれど。本当に、雨降って地固まったのかもしれないな…と。 再集結した今、妙に的を得た言葉にゾッとします(笑)ヒーセ、凄い!
kozue36
2000年8月13日の日曜日!この日のことを忘れることができません。 ROCK IN JAPANが地元茨城で開催され、大好きなTHE YELLOW MONKEYが出演!! 人生で初めてTHE YELLOW MONKEYのライブを観た記念なる日となりました! 当時高校生だったので、中々都内のライブにも行けずに悶々としていた私は大興奮。当日、台風が近づいてきて雨が降る中ライブをしている姿を見て、感動が止まりませんでした! 「本当にこの世に存在してるんだ。かっこよすぎる。」と圧巻のステージに釘付けになり、ずぶ濡れになりながら歌って踊って泣いて…と全力で音を受け止めようと必死でした。
和江
渋谷の某デザイン専門学校に1998年に入学し、2001年に卒業した私は卒業制作にYELLOW MONKEYの2000年5月10日の横浜アリーナ公演のライブレポートをマンガで発表しました。 ちゃんとコマ割りをしたマンガで、YELLOW MONKEYを知らない人にも知ってもらうチャンスだと思い、また私にしか出来ない事だと思ったからです! もちろん吉井さんとエマさんの熱~い絡みも描きました☆そして、偶然ですが私の通っていた専門学校は昔YELLOW MONKEYのファンクラブがあったビルとかなり近かったので、これも運命だと当時からとても嬉しかったのです(^∇^)
やすこ
初めて購入したイエローモンキーのアルバム 「8」当時は他のバンドに夢中でしたがイエローモンキーの曲も好きで「聖なる海とサンシャイン」目当てで購入しました。そしてアルバム購入後辺りからパニック障害になってしまった 私は当時夢中だったバンドの曲よりも気づけば アルバム「8」の曲を聴きどの曲も歌詞が心に染み渡りそして気持ちが落ち着くのでした。あの時はありがとうございました!そこまで深くイエローモンキーの事を知らずに聴いていましたがその後、休止活動、解散となりすごく残念だったのを覚えています。再集結後からは大ファンになり必ず毎日曲を聴いたり観たりしてパワーをもらえています!!
あやこ
2000年5月の横浜アリーナでは、その時の最新のTHEYELLOWMONKEYの格好良さに感動しました。2001年1月の東京ドームでは、全部を心に焼き付ける想いでした。2004年12月に、4人の姿を見送りながら、また会えるまで一生懸命生きようと思いました。今、また新しい曲を聴けて、ライブを観る事ができて幸せです。
ねえこ
2004年12月28日にもうあんなに人前で泣く事はないなと思うくらい泣きました。映像でTHE YELLOW MONKEYを振り返った時ですね。バラ色の日々が苦しすぎて号泣でした。しかし2016年5月11日に人前でこんなに泣くか記録は更新されました。何が起こるか人生わかんないよとあの日の自分に言ってあげたいですね。
norizo
シングルは好きだけど、という程度だった私が、かなり遅れてどハマりしたのは、より多くの楽曲に触れる機会をくれた解散後のベスト盤でした。とどめのメカラウロコ15の「ずっと歌っててください」にやられ、そこから全CDや映像、過去の雑誌を買い漁った2004末から2005初め。当時人生ドン底気味だ自分を救ってくれたのは人間らしさ溢れる歌詞と楽曲の数々でした。
カフェママ
2005年頃でしょうか?かわいい女の子が、転職してきました。見た目に似合わず、ロックが好きとのこと。 好きなアーティストの話をしていた、その時着ていたTシャツは、「楽園」のジャケット、ラッコTシャツ。 お互いにイエモン好きと知り、職場飲み会で歌う楽曲は、聞き込んだファンじゃないと歌えないものばかり(笑)!!こんなに「好き」の熱量が同じ人に初めて出会いました。 一緒にライブに行くという、当時、叶わなかった夢が、再集結してくださったおかげで、叶うという奇跡…。 メンバーには、感謝しかありません!!
和香
メカラウロコ15。私の人生観が一転しました。 まさかのJAMを演奏してくれたけど、涙化粧の女の子になって歌にも声にもならなくてただただ号泣してしまって。吉井さんが言ってた「奇跡」を起こせなかった事をその後ずっと深く悔やんで、何年も苦しくてJAMが聴けなくなってしまいました。「ずっと歌っててください」て言ってくれたのに‥。 喪失感が深すぎて立ち直るのには相当時間かかりました。でも「いつか」が永遠に来ない事もあると痛感して、これからは「今」を全力で大切にして今できる事は全てやろう!!と、心からその時誓って、その後の人生観が大きく変わりました!こんなに大好きなバンドに出会えた事、人生の宝物です!
はるかぴょん
2000年のスプリングツアーで、モンキーのライブを初体験。また行きたい!という思いが募った頃、モンキーがロックインジャパンフェスに出演すると知り、野外フェス初体験で、不安だった私は、フェス慣れしてた妹を誘い、いざひたちなかへ。 台風の接近の中行われた2日目。モンキーの出番の前までは、雨も降ったりやんだりで、何とか天気も持つんじゃないか?と思われたのですが、出演直前に雨風が強くなってきて…メンバーも観客もびしょ濡れでしたが、「雨に負けんなよー!」と、「バラ色の日々」「パール」が最高潮に熱く盛り上がりました。天候は最悪だったけど一体感、高揚感を感じた最高なライブで忘れられない思い出です。
キングカズ
活動休止~解散、それでもずっと聞き続けてきてホントに良かった(T_T)
ラムレーズン
2001年1月8日、家族4人で東京へ旅行に行きました。東京ドームのライブに行くためです。ライブを見るのは、私と当時高校生の息子の二人でした。東京ドーム内は、すごく広くて吸い込まれそうでした。ロビンのキラキラしたスーツが似合っててカッコよかった!一曲目は、「ジュディ」だったと思います。背景やセットが宇宙スペースみたいで、ワクワクしました。紙吹雪は拾い集めて持ってかえりました。主人と中学生だった娘は、外で待っていました。娘がDJブーンの着ぐるみに遭遇したと喜んでました。短髪のアニーがとても印象に残っています。
yumkel
1997に海外生活から戻りました。それまで日本の音楽に興味が持てないでいたけど、「日本にもカッコいいバンドがいたー!」ってTYMが思わせてくれました。パンドラを横アリで見たのが初ライブ。でも、その後すぐに休止、そして解散でしたね。でも聴き続けてました。原発事故のとき避難した埼玉で映画のパンドラを観ました。そして帰ってくる!って感じました。避難生活の心の支えでしたよ。
gogo*
活動休止後に発売されたシングル、プライマル。リリースの年にちょうど大学を卒業。メンバーに卒業を祝ってもらっている様な嬉しい気持ちと、活動休止の寂しい気持ちで、混沌としていたのを今でも覚えています。姉に袴を着させてもらい、感謝の気持ちとセットで良い思い出です。
2016-20
BELIEVER. COMMENTS
BELIEVER.さん
当時すごく気に入っていたネイルの写真を発見。
BELIEVER.の皆さんから
の投稿写真を掲載!
BELIEVER.の皆さんからの投稿コメントを掲載!
nbe
ラブオム猿のポーチ。たまたま誕生月に地元FMのプレゼント企画があったので応募したら当選!しかも偶然にも誕生日当日に届くというサプライズ!うれしいバースデーになりました。
僕ら君の味方だよ
30TH ANNIVERSARY DOME TOUR 数多くの仕掛けがファンを楽しませてくれた。バンド、スタッフの皆さんに感謝。2019年のアルバム「9999」リリースから、ドームツアーまでの流れはたまらなく刺激的で芸術的でした。コロナ禍の始まりとなった2月の京セラドーム大阪。「未来はみないで」バンドが愛しくて涙が止まりませんでした。その後、4月4日、5日の東京ドーム当日まで THE YELLOW MONKEYやファン友だちに会えないことが本当に悲しくてやるせなくて。自分にとって家族と同じくらい、このバンドがかけがえのない存在なんだと思い知らされた。大好きです。早く会いたいです!
僕ら君の味方だよ
タワモンカフェ。東京でしか開催されないことが悔しすぎて、このためだけに新幹線のって乗り込んだ!モンキー友だちと予定を合わせたり、ひとりで利用したり、三回くらい利用して全コラボメニュー、メンバー全員のポストカードをゲット!衣装も間近で鑑賞できて、モンキーのパネル写真と動画と音楽にまみれて、ヘブンでした。こんなカフェを将来やりたい。マニアが集まる、めちゃめちゃ幸せな空間でした。ありがとうございました!
僕ら君の味方だよ
THE YELLOW MONKEY結成30周年のナゴヤドーム直前に開かれたオフィシャルオフ会!このクイズで全問正解して優勝した私たちのチームは今も連絡を頻繁に取り合うほどの仲良しです!戦利品のメンバー直筆サイン入りトートバッグは大切すぎて写真は送れませんw なお、全問正解してしまったことで、2月のバレンタインパーティーが難問奇問だったことも今となってはいい思い出ぃ~
☆よっこ☆
2016年5月11日。スクリーンに映し出されるカウントダウン。揺れる会場。あんなにも開演前に熱気に包まれる会場を見たことがありません。本当に出てくるの?信じられ無さすぎて、全く実感が持てなかったあの日。めちゃくちゃ盛り上がっている曲で、やっと涙が。幸せ過ぎて泣きました。こうやってこの曲でまた腕をブンブン振り回す日が来るだなんて…って泣きました。2016年からの活動ひとつひとつが本当に奇跡で、幸せしかありません。ありがとう、イエローモンキー?大好き!
まぁや
ブーンの再販ありがとうございます(^^) 友達にも頼まれて、無事にそれぞれのお家に行きました。
しぴ
9枚目のアルバムを手に取れるだなんて…19年ぶりにオリジナルアルバムが発売されるだなんて。こんな奇跡、誰が想像できたのか。本当に本当に、どんなことよりも幸せな出来事で、大切な宝物です。
百日紅
福岡出身。2017年、PayPayドーム。2018年、初めて飛行機乗って、日本武道館。2019年、初めて、ナゴヤドーム。「はじめて」をたくさんけいけんしました。感謝です。
しろまるちゃん
GREATFUL SPOONFUL Tour in 日本武道館! 2016年の再集結がきっかけで THE YELLOW MONKEYのファンになった わたしにとってツアーに行かせて いただくのは初めてでした! 4月から9月までの長いツアー たくさんたくさんライブに行くことができ 本当に幸せな日々でした。 今までのわたしの人生でいちばん 楽しかったな~と思います。 中でも思い出深い8月8日の日本武道館! この度映像化されるとのことで とてもとても楽しみです!!!
くろぱん
解散前、最初で最後の参加となった1999年1月9日のライブ。生演奏から好きになった音楽は初めての経験で、それまで生きてきた中で一番自然に身体に染み込むのがわかった。でもすぐ日常に忙殺され追いかける間もなく、解散を知ったのもずい分後になってからだった。それでもその夢のようなたった一度のライブはずっと忘れなかった。それから17年。その間環境は大きく変わり、正直頭から離れていたこともあった。けれど2016年7月9日、こうしてまた会うことができた。本当にありがとう。帰ってきてくれて。
まぁや
2017年東京国際映画祭の特別上映に当たり、舞台挨拶を観ることができました。ボロボロ泣いた後に4人の姿。それを見てまた涙。映画祭でもカーペットを歩く4人はかっこよかったです。
まぁや
2017年12月28日、初めての1人旅!遠征ライブに行きました。これも子育てが一段落して、子供たちに留守番を任せられるようになったからこそ。 イエローモンキーと共に過ごしてきたなぁと、しみじみ思いました。
ANNIN
GRATEFUL SPOONFULツアー・武道館公演初日のスロットでまさかの特賞、エマさんのサイン入りTシャツをいただきました。 武道館の喫茶で生ビールを飲み干した直後の特賞という理想すぎる展開、この週はPrivate Gig、特賞、SUPER指定席2列目でザ・イエローボーイとまさに絶頂でした。 武道館公演初日の映像が今夏リリースとなり、さらに余韻に浸れそうです。
はるぴょん
2019年末のタワレココラボカフェ♪美味しいし店員さん親切だし最高でした!ど田舎から東京まで自由に遊びに行けていたこの頃に、早く戻りたい!基礎疾患まみれの私は極力コロナ感染には気を付けなければならず、2020年の東京ドームそして武道館へのライブ参戦はまさに命がけでした。メンバーそしてスタッフさん達の並々ならぬ準備と、強い思いがビンビン伝わってきて、なんかもうみんな抱きしめて離さないゾ!って思いました(笑)飼い猫のおかげで癒されて免疫力爆上がりなので、早くコロナ収束して小さいライブハウスでぎゅうぎゅうになりながらイエローモンキーのライブ観たいです!!!
しぴ
2019年。オリジナルアルバムを引っ提げてのツアー。こんなにも嬉しいことは有りませんでした。アルバムを聴き込んで、ライブに行く!奇跡だった再集結から、当たり前の様にそうやってライブに行ける日々が本当に嬉しく、最終的に2ヶ所以外行ってしまいました(全くそんなつもりなかったのにー!笑)でもそれはあの頃と変わらず、いゃそれ以上に魅了してくれる4人が居たからこそです!本当に毎日が楽しかった!イエローモンキーの居る世界って、こんなにも私に彩りを与えるんだなと思い知らされました。重いしかさばるけれど、コツコツと並んで集めたご当地キーホルダーは宝物です。笑
百日紅
復活を知った時は、もう嬉しくて「絶対ライブに行くんだー」って、興奮してました。その為にライブ経験の少ない私は、情報を見逃さないようチェックして、グッズも買うぞと意気込んで、後悔しないようにしようと誓いました。ライブはもちろん楽しかったんですが、もうチョット買えばよかったなぁ(笑)
maiko
2020年12月7日、代々木体育館。再集結後最初のライブ会場でもあった約束の地、新たな聖地でEMMAさんのお誕生日を一緒にお祝いできたこと、自分にとって忘れられないメモリアルデーになりました。ライブの内容もメモリアルデーに相応しいスペシャル感が満載でライブに参加できて本当に幸せでした。そしてこの年のコロナ禍にも負けなかったメンバーとスタッフの方々、そしてファンのみなさんの心意気の証としてAnniversary liveのアリーナツアーもドームツアー同様、円盤に残してもらえることを切に願っています。
ホワイトモンキー15
2017年の東京ドームの初日! 17年ぶりの東京ドーム! あの日以来の東京ドーム!色々な想いが巡った日でした。おめでとう!そしてありがとう!THE YELLOW MONKEY そしてこれからもよろしく!
Hanae
2020年、京セラドームのライブに行きました。"太陽が燃えている"の時、何故か自然に涙が溢れました。たぶん「同じ場所でまた会おう」の歌詞が響いたのかもしれません。その前に行ったライブが2001年1月4日、大阪ドーム(現京セラドーム)だったので、歌詞通りのシチュエーションになったんです!再集結後、なかなかライブに行けなくてモヤっとした思いを払拭出来ました!コロナ禍に突入する直前、あんなに幸せな時間を過ごせたのは今でも励みになっています。
aubepurple
2020年11月~12月の4公演は配信やWOWOWで見届けました。感染防止対策を徹底した上で大規模会場でのライブを開催され、成功に終わったことに本当に勇気づけられました。 SingLoud企画に参加し、会場に自分の歌声が流れた時は感動で胸が熱くなりました。当時のグッズも大切な思い出です。 THE YELLOW MONKEYは私の生活に彩りを与えています。この先もそう願ってついていきます!
ANNIN
まさかのLa.mamaでイエローモンキーが観られた夢のような30分。しかも、2列目ど真ん中でものすごく近くて、ネットニュースでメンバーと一緒に写った写真が掲載されて、またとない、いえ、またとあってほしいひとときでした。 はじめてのLa.mamaが、大好きなイエローモンキーのライブになるとは夢にも思いませんでした。
緒方 優行
熊本のBELIEVER.はこの日のライブに大きな力をもらいました。 入場時に全員に配布されたバラ色ピックは宝物です。
maiko
The Yellow Monkey のファンになってから憧れつづけた「メカラウロコ」、再集結後ももちろん開催されることとなり勇んでチケットを申し込んだもののあえなく撃沈…してたらなんと全国47都道府県映画館での同時生中継が敢行されることに!武道館には行けなかったけれど、大きな画面と臨場感あふれる音響の中、同じ思いのファンのみなさんと一緒に拍手し心でシンガロングし…会場との距離はあったけれどそれを忘れさせてくれるメンバーのパフォーマンスに彼らを間近に感じられた最高の時間でした。(でもやっぱり武道館行きたかったな・笑)
おかめぐ
あづまでのLIVEでアニーさんのドラムがおなかに響き、エマさんのギターがすごく鳴って、ヒーセさんの獣低音と花道での笑顔と、ロビンさんの妖艶な声、再集結後の音はからだ全体で感じました。オールしたいねと話したMCは忘れられない想い出です。
ANNIN
再集結して第1回目の音楽誌インタビューの読者プレゼントでいただいたサイン入りポラ。 1996年からファンになって以来、はじめて手にしたイエローモンキーのサインと生写真、震えるほど感動しました。 真顔でロビンさんのお◯たを強調するシュールな4人に目が点になりましたが、じわじわ来てツボにはまりました。 その日からおよそ6年も透けた肌色の太陽ずっと抱きしめて、カラフルなトンネルを本当に抜けたサイン入りポラは、わたしにとって一生色褪せない、かけがえのない家宝です。
はるぴょん
2016年福島のチャリティーフリマでGETした、吉井さんの私物パーカー♪まさかのPU○AならぬUMAで爆笑!当日仲良くさせていただいた方がGETしたのは、ちゃんとディオ○ルだったのに(笑)友達からは「真空パックして永久保存しろ!」と言われたのですが、フツーに着回しやすいのでバリバリ着用させていただいてます♪鼻炎なので、残念ながら吉井さんの残り香も分かりませんでした(笑)その前の吉井さんソロの時の福島フリマではなめこのぬいぐるみの携帯ストラップをGET したのですが、つくづく吉井さんのモノ選びのセンスは謎ですね(笑)
もちめろ
2019年末のナゴヤドームの前に、名古屋の街がTHE YELLOW MONKEY一色に!この光景を見るためだけに大阪から名古屋まで行きました。色んな角度でナナちゃんやポスター等撮影しまくり楽しかった思い出!
りょーちん
15年以上経って、今度は子ども達と一緒に行けるようになったよ。もう一度回り始めた"運命のタイマー"。もう止まることのないこのタイマーを、ずっと大切にしていきたいです。 THEYELLOWMONKEY IS MYLIFE!
おかめぐ
初めて最前列でLIVEを楽しみました。ドキドキとワクワクで興奮した想い出です。きっと目が合ったはず(笑)相方さんが抽選で当たったアニーさんのTシャツを拝んだり、帰りの月がキレイだったこと、一生の想い出でした。またあの頃の様になるように祈ってます。
しぴ
あの日まで、イエローモンキーの存在をずっと押し殺して来ました。周りが騒ぎ出しても『再集結だけは絶対無い!』と…。2016年1月8日、奇跡は起こりました。あの瞬間を思い出しただけでいまだに涙が溢れます。スマホの画面だけでは半信半疑だったこと、渋谷で自分の目で見てやっと確信に変わったこと…。あの日の気持ちは一生忘れることはありません。イエローモンキー!戻ってきてくれて本当にありがとう!あなたたちは、私の光です。
ちろちゃん
2016.6.29名古屋ガイシホール。曲は大好きで聴いていたのに解散前は一度もコンサートに行くことがなく、この日が私にとってイエローモンキーライブのデビュー日でした。もう見る事がないと思っていた憧れのライブ。彼らは存在するんだ!って確認出来た日でした。この日聴いた「球根」は圧巻で、歌も演出も何もかもが完璧。一生忘れられない日となりました。この日のチケットはお守りとして、いつもお財布の中に入れて持ち歩いています。
トモッチ
2019.12.28の30周年ドームツアーのナゴヤドーム。THE YELLOW MONKEY繋がりで知り合ったBELIEVER.さんと沢山会えて、ライブも最高で楽しい時間を過ごせた思い出のライブです!
はるかぴょん
当時小学生の娘が書いた日記です(本人に投稿・掲載了承済み)。 留守番中、宅配便がきたのでうけとりました。長い箱でした。かあちゃんが帰ってきたので、「なんかきたよ、ポチッたやつじゃない?」と言って箱を見せました。「こんな長い箱に入ってるわけがない」と言われてしまいました。じゃあ何なんだこれはと開けると、そこにはイエローモンキーのサイン入りポスターがありました。実はカラオケDAMの企画でサイン入りポスターが当たる抽選に申しこんでいたのです。「まさか当たるとは!」と思いました。次の日、額を買って家にかざりました。家宝にしました。
おせつちゃん
10代でモンキーを好きになりましたが、その頃は親が厳しく地元のライブすらも自由に行けず、、ビデオで観た武道館へ行くことが私の夢でした。社会人となり忙しい日々に追われている内に解散。モンキーのライブへもう一生行けないんだ…とずっと後悔をし続けていました。そんな日々を送っていた私にとって再集結は本当に夢のようでした。周りにはモンキーファンがおらず、再集結後のライブは一人ぼっち。それでもライブへ自由に行ける嬉しさでいっぱいでした。今はビリーさん達と繋がれてもっと楽しく過ごせるようになりましたし、念願の武道館へも行くことが出来ました!第三章すごく楽しみにしています!早くその日が来ますように。
由紀子
2019年12月28日ナゴヤドーム。毎年恒例の主人の実家・愛知県帰省を兼ねて参戦しました!最高のライヴ・最高の帰省でした!
けり
釜山国際映画祭の現地で観ることができた「オトトキ 」のチケット。 映画と同じくらいに楽しみにしていたレッドカーペットが雨で中止になり、残念でしたが、韓国留学中の姪っ子がチケットを手配してくれた優しさと共に、大切な大切な宝物です。
チカ☆☆☆
世界最速先行試聴会in武道館の当日は桜も咲いていて、まさにイエローモンキー にピッタリな日でした!!まさかのメンバー登場でアルバム全曲演奏のサプライズ!!ワクワク感とドキドキ感のなんとも言えない緊張と全身で耳を澄ませる感覚は忘れられません!!『9999』新しいステージが始まった!!LIVE行かなくちゃ!!って。今度はどんなサプライズがあるのかな?
由紀子
GWの家族旅行と題して東京・八王子から2019年ツアー初日の静岡エコパアリーナ2daysに行きました!家族は掛川観光を楽しみ、私は最高のライヴを満喫しました。今でも忘れられない遠征です。
Yukorinrin
2019年11月のオトトキ公開2周年記念スペシャル上映後、松永監督がサプライズで登場してくださり、質問コーナーでは勇気を出して監督に質問して答えいただき、さらに上映後にはパンフレットにサインをしていただきました。 残念ながら5/11の代々木のチケットは取れなかったので、プライマル。の臨場感を体験したくて、オトトキは映画館で15回くらい観ました。 野外でのライブビューイングなど実は映画には3回自分が映っています。メンバーにとってもファンにとっても忘れられない激動の年を記録した素晴らしい映画ですが、私もその一部に記録していただき、とても記念の映画になりました。 またいつか上映してくださいね!
和香
再集結1/8の前夜。 いてもたってもいられなくて、残業切り上げて渋谷に向かいました。 でも0時直前まで何もなくて、凍える寒さに挫けかけた時、突然蛹の垂れ幕が破かれ始めました。 訳がわからないままスクランブル交差点を必死に走って駅に戻ったら、カメラを持ったスタッフさんが立ってました。 息を切らせて半泣きでスタッフさんの顔を見上げたら、察してくれたのか優しく『うん』て頷いてくれて…そこで全てを悟りました。 悲鳴の中、THE YELLOW MONKEYの文字と写真が新たにかかった時の衝撃と涙は今でも忘れられません。 夢みたいに幸せなシーズン2の始まりの瞬間、立ち会えた事宝物です!
☆不惑のchika☆
旦那と行った七夕?のライブ。旦那と付き合い始めた頃はもう解散してたので、2人とも好きにも関わらず一緒にライブに行ったことがなく。結婚して子供ができてから、夢にも思わなかったモンキーの復活、再集結があったから一緒にライブに行くことができました!!いつまでもライブやってください!私たちを繋いだバンドです?
ムーンライトKANJI
第1期の時も行けなくて、ずっとずっともの凄く行きたかったメカラ 再集結してくれただけで嬉しかったはずがメカラ27の開催発表で絶対行くと誓ったのも束の間。チケットに最後までご縁なく映画館でのライブビューイング。 そしてメカラ28も日程的に諦めるしかなくて、やっと2次で当選し初めて行けることになったのがメカラ29Final! 初めてが最後になったけど、ずっと映像でしか観たことがなかった憧れの世界の一員にやっとなれました。めくるめく懐かしい曲の世界に、武道館最上段の席のない席から酔いしれたのが良き思い出ですw
まさお51
再集結した2016年にHMVでシングルCDの砂の塔と、映像作品のさいたまスーパーアリーナ公演のライブBlu-rayの同時購入者を対象として抽選で25名限定でプレゼントされたメンバー直筆サイン入りポスターです。 その時通販などで何か買った訳でもないのに配達員の方が大きなダンボール箱を抱えて来られ、頭の中は「?」でした。何かなと思いながら開けてビックリでした!まさか自分が当たると思わなかったので思わず絶叫してしまいました。もちろん家宝にしています!
ミヤミヤモォ
コロナ禍で初の大型ライブ 先陣きってのライブに参加出来たことを心より誇りに思う。 また早くイエローモンキーのライブ行きたいよ。
わここ
2017年5月21日、メジャーデビュー25年を迎えた当日にタワーレコード渋谷店の屋上から生放送されたスペースシャワーTVの番組「V.I.P. -THE YELLOW MONKEY-THE YELLOW MONKEY 25th ANNIVERSARY“THE YELLOW MONKEY IS HERE.”」にて観覧者に配られたオリジナルTシャツです。観覧者100人のうちの1人として、メジャーデビューと同い歳の身として、とても思い出深いです。 風か強かったこと、ヒーセさんの声が本当にデカかったこと(褒)、放送には載っていないメンバーの仕草ややり取りも見ることが出来た貴重な1日でした。
まろまろん
2016.6.18 SJT仙台にて。子育てメインで過ごしていた自分が、5/11の代々木でのライブで衝撃を受けて以降まさかの遠征で1人仙台に行った時の写真。この時は感動を1人でかみ締めるしかなかったけど、6年経ち、思いを共有できる友人ができました。2016年を境に、大袈裟でなく私の人生はガラッと変わりました。
かどちゃん
FCイベントDRASTIC HOLIDAY TOUR@香川公演が今でも印象深いライブのひとつです。レア曲満載で、ヒーセのルーツ、PDツアーの裏話だったりとイエモンのレアな香川トークも聞けてとても嬉しかったです!その夜台風が四国に上陸し帰れなくなってしまい急遽香川で1泊したのもいい思い出です(笑)来場者限定のシリコンバンドは今でもライブ時に装着しています!
えりか☆彡
SUPER BIG EGG2017ライブ2day! 1日めは17年前の解散ドームライブ一緒に参戦した双子カタワレと、2日目はダンナと。 2001年1月8日に解散ライブやった同じ会場での復活ライブ。 17年前の4人の演奏もすごくよかったけど、やっぱり悲しみやいろんな気持ちが痛いくらい伝わってきて号泣した。 でも201年のBIG EGGは違った! メンバーみんなが目を合わせながら微笑んで演ってる最中本当にあたたかくて…号泣しまくりだったけど、同じ曲でも全く違う伝わり方であったかくてカッコよくて!本当にイエローモンキー好きになってよかったー! 写真は17年前と同じ場所で撮ったものです♪
理子
私の運命の日は2016年11月21日。 解散前もCDを買ったりする程度にはファンだった私は『近くだし行ってみようかな♪』と軽い気持ちでSLS群馬に参加。 1階中央付近の席で観た4人のオーラとカッコよさ、曲や演奏の素晴らしさに圧倒されてあっという間に恋に落ちました(笑) 終演後ホールを出た瞬間にトレードに申し込み、幸いにもSLS富山に当選して参加。 それから全国各地に遠征し、たくさんのお友達とも出会えて、私の人生は一気に彩りを増しました。 ライブに行く度にますますTHE YELLOW MONKEYが好きになる。この気持ちは一生更新し続けて行くのだろうなーと思っています。
いつ
2019年のRADIO CRAZYの銀テープとリストバンドです。毎年のように行くフェスで吉井さんに会えるなんて!と秒で3DAYSのチケットを申し込み、イエローモンキーの予習を始めた記憶があります。予習段階でどハマりし必死で曲を覚え、ライブのかっこよさに痺れてさらに好きになりました。クリスマスに初めてイエローモンキーに会えたこと、ずっと忘れません。
寛子
再集結後、SLSツアーで念願の地元公演が叶いました。普段は遠征することが多いですが、やはり「地元に来てくれる」ということはとても特別なことで喜びも一入でした。よく行く地元のホールにイエローモンキーが来てくれて、吉井さんが何度も「新潟ー!」と叫んでくれた時、嬉しすぎて私の興奮度も最高潮!帰りに人生初めての検問を受けて、興奮しすぎて警察官の人に「今、県民会館でイエローモンキー観てきたんですよ!」と言ったのもいい思い出です。
寛子
イエローモンキーを好きになったきっかけが、TRUE MIND冒頭の武道館のRomantist Tasteなのですが、日本武道館の日の丸の下でイエローモンキーのライブに参加する事がずっとずっと私の夢でした。解散後は叶わないと思っていましたが、その長年の夢が2016年のメカラウロコで叶って、本当に感無量でした。当日着た日付入りのグッズTシャツは、私はあの日あの場に居られたんだ、という大切な思い出です。
ねえこ
再集結後初のライヴ。代々木で引いた1発目のピックは紫でした。後にエマちゃんがこれに似た爪になった時はビックリでした(笑)
POWAMI
GRATEFUL SPOONFUL TOURの福島チャリティにてゲットしたLOVIN私物の缶バッジ(SICKS)とHEESEY私物のストールです。家族で仲良く並んで買えた懐かしい思い出もあります。 缶バッジは和部屋と読んでいる宝が眠る部屋から出てきたようでそれは吉井和哉ブログでも確認出来ます。 ストールはフリンジに薔薇やパールがあって流石オシャレなHEESEYっていうイメージです。
るり坊
GSツアー熊本、九州SPECIALにてアニーさんのドラムスティックを購入しました。スティックからものすごい気迫が伝わってくる気がして、眺める度に胸が熱くなります。GSツアーは4パターンの公演など、初めてだらけのびっくりなツアーでとっても楽しかったです!次はどんなツアーに行けるのかな、なんて考えられるのもイエローモンキーの4人が元気に活動してくださるからですね。大好きです!
きじ☆ねこ
解散後にハマった私にとって憧れだった横浜アリーナ。30年以上近隣に住みながらもライブを観る機会がなく「いつかここでライブを観るなら絶対にイエローモンキーがいい!」とずっと夢見ていましたが、2016年8月にその夢が叶いました!驚いたことに私が近隣に引越してきた年に横アリができ、イエローモンキーも結成されたとMCで知りその偶然に驚き、引越してきた当時の辛い経験や、イエローモンキーに出会った頃の切ない記憶などが思い出される中で聴くSO YOUNGに、いろんな記憶が浄化された気がして、この日のためにこの地でがんばって生きてきて良かったなぁ…と涙が止まりませんでした。私にとっても大切な聖地になりました。
きじ☆ねこ
デビュー25周年記念のスペシャの番組で、ファン投票による「イエローモンキーの好きな1曲ランキング」ベスト3曲を当てる企画があったのですが、なんと自分の予想が見事的中!それだけでも驚きでしたが、なんとさらに抽選を潜り抜け、ちょうどアニーさんの50歳の誕生日から2日後に、私の手元にイエローモンキー全員のサインの入ったポスターが届きました!再集結して約1年…それだけでも一生の夢が叶ったというくらい奇跡のような出来事なのに、さらにこんな記念のタイミングで4人のサインがいただけるなんて…あまりの奇跡の大きさにポスターを持つ手が震えるほど感激しました。一生ものの家宝は今も大切に大切に保管しています。
きじ☆ねこ
念願だったイエローモンキーのライブを私が初めて観られたのは2016年5月11日の代々木。あの日の期待と不安と夢の混ざり合った独特の高揚感に満ちた特別な空気や、ライブが始まった瞬間の轟くような大きな歓声の渦は一生忘れられません。初めてライブで披露されたプライマル。は驚きと喜びに溢れていたのですが、続く楽園の「楽園に行こう~楽園に行こう~大きな船で♪」と聴いた瞬間に、イエローモンキーという大きな船に乗って私もやっと楽園に連れて行ってもらえるんだ…と思ったら涙が溢れ止まらなくなりました。イエローモンキーのいる最高な世界へ…ずっと憧れていた世界があの日からずっと続いていることに心から感謝しています。
ふかひれ
東京国際映画祭、風雨のなか六本木までオトトキを観に行きました。ワクワクしながら映画を見始めましたが、代々木初日の客席の映像から涙が出てしまい、神戸の球根、CDJ等、胸が詰まるシーン続き涙が溢れたのを思い出します。ラストのラママの映像からエンディングのHorizon が流れてきてイエローモンキーへの想いに胸が一杯になってしまいました。メンバー登場でロビンの「泣けるでしょう?オレ3回泣いちゃったよ」の言葉に会場中が頷いていました。ロックを職業にした人間のドキュメンタリーってロビンの言葉通りの素晴らしい映画でした。仕事終わりのレイトショーに何度も通ったことも忘れられません。
ミヱ
イエローモンキーが出演したり、コメントが流れると知ったラジオ番組は可能な限り聞いていて、リスナープレゼントに応募して当選した非売品のノベルティたちです。 ラジオ×イエローモンキーも各番組すごく印象的でした。
麗しのひとちん
メカラウロコ28のSUPER指定席特典のスノードームです。自分にとって初めてのスノードームがこんなに素敵なもので嬉しかったです。
麗しのひとちん
2019年8月6日La.mamaにて。THE YELLOW MONKEYをLa.mamaで観られる日が来るなんて夢のようでした!DOGHOUSEのベースソロの時のヒーセさんが、むちゃくちゃ激しくてカッコ良すぎて感動しました!
麗しのひとちん
TYMS CHALLENGEのプレゼント企画で当たった吉井さんのサイン入りTシャツです。サインの下に謎のひと言が書いてありました。 家宝がひとつ増えました。ありがとうございます!
ひろめぐ
30th Anniversary DOME TOUR ナゴヤドームの前月・11月に右足のすねを15針縫うケガをしてしまった私。回復が思わしくなかったので、月末に2週間会社を休んで自宅療養。安静にしていた甲斐があって、無事にライブを楽しむことができました。友人たちから「立ったらアカンで!」と散々言われてましたが、大人しく座っていられるわけもなく(笑)。アリーナ後方の端の席でしたが、後方に向かって歩いて行く等身大のメンバーの姿を思いがけず拝めたのも、楽しかったライブの忘れられない思い出のひとつです。
ひろめぐ
アルバム「9999」のプロモーションで、メンバーの皆さんが某FM番組にご出演された際、感想を送ったところ、なんと「メンバー全員のサイン入りトートバッグ」プレゼントに見事当選!全く期待してなかったので、実物が届いた時はものすごく驚きました。普段は大事に保管していますが、心が疲れた時に取り出して眺め、パワーをいただいております。私の宝物です。
ふかひれ
DRASTIC HOLIDAY チケット激戦で唯一行けたのがファイナルの津。アコースティックのOKにメロメロ。ファンクラブ限定ライブならではのコアなライブでした。黄色いアイテムを使ったファッション企画に参加したのですが終演後の人混みに押されながら番号を確認すると、なんと当選!! 終電ギリギリの夜道をサイン色紙を抱えて猛ダッシュ!嬉し涙を流しながら走った夜、空には綺麗な満月。思い出深い一夜のライブです。
ふかひれ
イエローモンキーのライブに行く!という夢が叶った日。初日は仕事で諦めましたが、初日参戦の子どもたちがスーパー普通席(笑)でロビンと目が合った!と興奮して伝えてくれました。スタンド席から見た4人の姿に胸が熱くなりました。1曲ごとに客席から歓声が上がり、奇跡のような瞬間に立ち会えたことに感謝しかありません。エマさんのギターが素晴らしくて、ギターの音がキラキラと光って見えるほど美しい音で、あの日からビリーバーとしての人生がスタートしました。
kawada
2019年のタワモンカフェは大阪でも開催していただけたので、コラボメニューや店内で流れる映像を楽しみながら、友達と盛り上がりました!コースターがもらえたのでうれしかったな。
kawada
解散前はライブ遠征はしていなくて、2016年の再集結ライブも東京の人はいいなぁと思っていたら、夫から「行けるのに何で行かないの?」と背中を押され初めてのTHE YELLOW MONKEYライブ遠征をしました。メンバーの顔写真のバッグに思い出をいっぱい詰めて新大阪駅に戻って来た時は「見て見て!」と誇らしい気持ちになりました。
YB-TYM
代々木の初日は中へ入れず大型ビションで泣きながら観ました。でも2日目は双眼鏡なんていらないくらいの席のチケットが当選していました!!夢じゃないんだ!THEYELLOWMONKEYがそこにいる!!もう2度と解散はしない!が聞けて心の底から喜んでいいんだ!と思えた日でした。
えす♪
ナゴヤドーム公演の宣伝でナナちゃんストリートをジャックするなんて!!!とワクワクで向かうと、どこもかしこもTHE YELLOW MONKEY!わぁ!ここにも?!あそこも!!!とたくさんたくさん撮りました。ナナちゃんの足元の床のひろーーーい所に1ヶ所だけお猿さんがいたので、接写撮影。みんなナナちゃんや壁を撮っていて、床を撮ってる方はいなかったのでちょっとだけ恥ずかしかったです(笑)でも大切な思い出。
えす♪
ナゴヤドームでTHE YELLOW MONKEYのライブを見るのが夢でした。叶わないと思ってた夢が叶うんだと思うと、いろんなものを形に残したい!と地下鉄の切符も記念に撮りました。あの日舞っていた金銀紙テープも大切な宝物です。もちろんあの日感じた音波も感情もぜんぶぜんぶ宝物!!
くろたろう
2020年の30th AnniversaryのSing Loud!企画でDAMとものスマホスタンドが当たりました コロナ禍でありながら、素晴らしいLIVEを実施して下さったメンバーの皆様、スタッフの皆様に感謝です THE YELLOW MONKEY IS MY LIFE
ピノタージュ
2020年2月11日の京セラドームでのライブ。もしかしたらこれが私の人生最後になるかもしれないと思ったライブです。直前で病気がわかり、ライブ後に手術を、控えてました。もしかしたらそのまま終わるかもしれない。そんな覚悟を決めて参加してました。でも、こうやってこの投稿をできることが今の現実です。手術のときも歌に励まされ、また絶対ライブに行くという気持ちを強く持っていたから乗り切れたのかもしれません。これからもその思いを常に持って生きていきます
yoiche
私の人生の夢であった『フリージアの少年』を生で聴く事聞ができたメカラウロコ27。リハーサルの音漏れが激しく、グッズ購入の列に並んでいる際に聞こえてしまったのだが、その時に思わず感嘆の声を上げてしまい、前に並んでいる人に振り返ってビックリされた。ステージで披露される曲のどれもが憧れの曲ばかりで、ビデオで見て感動したシーンを追体験しているような、夢の中にいるような、不思議でかけがえのない時間だった。
エマママ
初めてのメカラウロコ参戦が2018年の「メカラウロコ・29 FINAL」でした。 その時なんと幸運なことに一階北西席で、ヒーセ真後ろのステージに至近距離の座席で憧れのメカラウロコで最高の時間を過ごすことが出来ました!! アニーのドラムも間近で体感することが出来、まさかの「Oh!Golden Boys」の前奏のドラミングが鳴った時は全身の血が沸騰&逆流したのかと思うくらい一瞬で熱くなりました! ライブ中はメンバーの後ろ姿を拝んでることがほとんどでしたが、アーカイブ放送や有賀幹夫さんが撮影された写真に映り込んでて忘れられないライブです。
kozy4855
再集結以降、息子とライブに参戦する日々が始まりました。幼いながらすっかりイエローモンキーマニアとなった息子と一緒にライブで歌い、叫び盛り上がる日々はとても楽しかったです。今では高校生になった彼、ワタシの影響でギターを弾きますが、2人してイエモンの楽曲をコピーするようになりました。そして悲しいかなもうワタシより弾ける(笑) このスタッフパーカーは東京ドームライブの際にFM曲のオフィシャルサポーターに当選して、貰ったお宝です。
しーちょす
私が人生で初めて行った2017年のsuper big eggは本当に思い出です!!母の影響で聴き始め、この日から母とたくさんイエモンのライブに通いつめてます!当時中学3年生だった私は今年20歳になります。この日の感動は忘れてません( ; ; )イエモンはずっと私のROCK STARです!!
ロデオパンタロン
子供の頃からミニカーが好きで、まさかTHE YELLOW MONKEYのグッズでトレーラーのミニカーが販売されるなんて夢にも思いませんでした。 毎回グッズを考えてくれているスタッフの皆様には感謝しかありません。 そして次はどんなグッズが販売されるのか?楽しみで仕方がありません。 期待してます。
チーズタルト
近鉄電車とのコラボで名古屋ドームツアーに娘と参加!ずっとメンバーたちの楽しいトークを聞きながら移動できて、ライブも濃い内容ですごくいい思い出になりました☆
カフェママ
初めて、ひとりで東京へ!!! 一緒に行くはずだった友達が、まさかの体調不良により、なんと、当日ひとりで行くことになりました!写真は、初めての遠征だからと、お守りに娘が作ってくれたもの。ひとりで無事にたどり着ける?!と、もうライブ前からドキドキは始まっていました。お守りのおかげか、すごくスムーズにホテルへ到着。 本当に行って良かった!と今だからこそ、強く思う、一生忘れられないライブとなりました。
koolkyo
2019年4月17日 アルバム9999発売日 渋谷のタワレコカフェに行きました。 発売日も相まってとても嬉しい気持ちで、行きました。行く新幹線の車内で9999を聞いていきました。聞いたこともある曲もあり、初めて聴く曲もあり曲順がとても考えられている!普段はランダムで聞くことが多いですが、アルバムの曲順で聴く素晴らしさに、改めて気付かされました。 このツアーもトランプマーク全て見ることができ、とても良いツアーでした。こんなに素晴らしい体験をさせて頂きありがとうございます。 次のアルバム、ツアーも楽しみしています。
koolkyo
2017年念願のBIG EGG 2001年の時はまさかのラストライブ行けずに悔しい思いをしていました。 野球は見たことがありましたが、ライブはドームでは初めてでした。大きさ、演出等とても感動しました。通常のホールもいいですが、ドームならではの体験が出来ました。16年越しの夢が一つ叶いました。
koolkyo
2016年予想もしてなかったまさかの再集結 その最初のツアー、新聞の中一面にツアー日程が載っていて、ビックリしました。 すぐにファンクラブに入会、チケット申込しました。その時チケットが送られてきた封筒です。 今では電子チケットが当たり前ですが、紙の良さもありますね。 このツアーはパンチドラカーツアー中奥さんのお腹にいた子供と行きました。なんともいえない気持ちで、夢が一つ叶いました。
monkey36
コロナ禍になり音楽業界が止まっていた。このLIVEから全てがリスタートされた。あの状況でLIVEに行く事はかなり不安だった。でも生で聞きたい気持ちで行ってしまった。 かなり万全の対策をして。 あの場に立ち会えたことは本当に感謝。 1曲目を聞いた瞬間から、もう瞼が熱くなりウルウルしながらあの場に居た。 THE YELLOW MONKEYの音楽の素晴らしさを再確認したLIVEだった。 新しい形を生み出してくれてありがとう。 これからも大好きです。
monkey36
再集結のお陰で巡り会えた。 再結成前は、学生時代でLIVEに行く事が出来なかっただけに再結成を知って直ぐに申し込んだ。 ただこの時は、まだ蟻地獄にハマる前。 好きな歌を生で聞きたいと思い、行ったLIVEがこの公演。 その後、見事にTHE YELLOW MONKEYの魅力に取り憑かれたのは言うまでも無い。
ワラビン
ヒーセとのアメ横での奇跡の出会いからTYMS CHALLENGEでの画面越しでのまさかの再会! メンバーと会話もできて似顔絵を描いてもらいしかもサインまで!家宝です!
1437un
GRATEFUL SPOONFUL福島公演のチャリティー企画「THE YELLOW MONKEY SUPER “C” MARKET」で購入させていただいた、2019年 アーティスト写真撮影用 背景オブジェ板。 手に取った瞬間…古びた壁の質感や凸凹感。単なる板ではなく、アートのように感じたのが今でも強く記憶に残っています。 ライブやPV、アーティスト写真…色んなプロフェッショナルな方々が携わって、一つの作品を完成させ、ファンを魅了させるんだなぁと実感した瞬間でもありました。 DANDANの歌詞にもありますね!! ビリーは朝から並んだ~お目当てブツを狙いに~♪
bana
再集結が発表された日、初詣帰りのバスの中で喜びに震えました。 そして2016年の代々木初日、会場には行けませんでしたが、これ以上ないスピードで仕事から帰り、子供のお迎えを済ませ、晩ごはんの支度をしながらスマホを握りしめてプライマルを聴きました。 あの日の事は今でも忘れられません。 私の人生に再び花を添えてくれたTHE YELLOW MONKEY に感謝です! これからもよろしくお願いします!
ひわちゃん
再集結したばかりの頃は三人目が産まれて子育てでいっぱいいっぱいで全然情報も入ってこない状態でした。 ですが10月に三人目が1歳になりその頃福岡のドームでメカラウロコがあることを知りびっくり! 行きたい!! 私の青春時代に常に寄り添ってくれたTHE YELLOW MONKEY 母になってからもまさか4人がステージにいるライブに行ける日が来るなんて! 主人に子ども達のことを頼みドームまでドキドキワクワクしながら向かいました。 中学生の時何回も何回も聴いたsmileで始まるなんて…夢のような時間でした! これからも愛し続けます!
yuccoyou
再集結しないと思っていたから、CDを聞いたりググったりは一切していませんでした。ある日なんとなく『イエローモンキー』とググったら、あのサナギが出てくるではありませんか!あの時はすごく運命的なものを感じました。
しもとも
9999の世界最速視聴会は酷い風邪をひいてしまって泣く泣く断念。本人達が出てきたと知ったときは本当に膝から崩れ落ちました。そのひと月後に始まったGSツアーの初日、私の目の前にはイエローモンキーしかいない世界が広がっていました。人生初めての最前列。1ヶ月前と違う涙を流すことになるとは。この後一生付き合っていかないといけない病気と診断されるも横浜、秋田、埼玉、東京、福島、年末には名古屋とたくさんのライブに行けたこと今でも忘れられません。2019年は私の人生で最も濃い1年です。
黒猫ヤマト
GRATEFUL SPOONFULツアー初日の静岡に大阪から独りで参戦。スーパー指定席に当選したのにカードで引き落とされてなくてとても落ち込んでいました。周りに何も無くて風が強くてとても寒く悲しい気持ちでグッズ売り場の長蛇の列に並んでいた時に隣にいた茨城の子と目が合って優しい笑顔についつい話が盛り上がりました。お陰で落ち込んでいた気持ちもほぐれてライブ終わりに打ち上げまで行きました。あれから3年が経ちますが、今ではライブがなくとも地元に遊びに行く親友になりました。イエモン が繋いでくれた絆に感謝です。初日にはなかったhorizonの花火が急に増えたのもご縁?感激でした。
NOBUYA
再集結の一年前、事故で大学病院に運ばれ、ICUで治療を受けていました。生死も危ぶまれるほどの大怪我で、約1ヶ月昏睡状態でした。 リハビリを経て回復してきたころに再集結を知りました。偶然にも、再集結ツアーの初日は自分の誕生日。そして、2019年のツアーの札幌の日程まで同じ日。でも私は病気のため、ライブに行きたくても行けません。 2020年のオンラインライブのとき、sing loudに参加し、初めてリアルタイムでライブを観ることができ、メンバーや他のファンの方と時間を共有できました。ある意味、コロナのおかげだと思います。 生きる勇気を与えてくれて、ありがとうございます。
さやちゃん
2019年、普段はBOOWYしか聴かない主人が「THE YELLOW MONKEY昔よく聴いたなぁ…カラオケでもいっぱい歌ったし…」と言って、アルバム「9999」を買ってきて車でずっと聴いていました。それまで私は、THE YELLOW MONKEYをなんとなく知っていた程度でしたが、「9999」を聴くうちに人生で初めて、沼にはまりました。 どんどん好きが加速し、初期のアルバムから全てを聴きたくなりCDやライブDVDを買いまくり、今ではロビンの歌声を聴かない日はありません。 ライブの面白さを知った今は、もう一度青春ができてサイコーです。ちなみに今の願いは、令和版メカラウロコをやって欲しい~!
はるかぴょん
再集結が発表されてからしばらくの間は、 朝に目覚めると、再集結は夢ではなかろうか?と心配になり、THE YELLOW MONKEYのいる世界線にいることを確認すべく、公式ホームページを毎朝開いていました。
チカ☆☆☆
30th anniversary dome tour 東京ドーム公演延期になって開催当日まで出来るんだろうか?と不安になることもあったけど、東京ドームの客席から見たステージは輝いてました!!アリーナ後方席だったけど、周りの皆さんの話し声も全く聞こえてこない静寂に包まれた開演前の時間。声は出せなかったけど、あの日あの時間を過ごすことが出来てhappyな気持ちが溢れました。LIVE開催してくれてありがとうございました!!前よりもっと大好きになりました!!
けり
「オトトキ 」の松永監督のトークショーがある応援上映会で、幸運にも質問に答えていただけることになり、映画のタイトルについて質問をしたら、とても熱心に答えてくださって、メンバーのとあるエピソードから、そこまでしてくれるからにはこの映画を1人でも多く、1日でも多く上映してもらいたいと、この映画に対する監督の熱い思いをとても強く感じて泣きそうになりました。 ちゃんとお礼を言いたかったけれど、ありがとうございましたとお伝えするのが精一杯でした。
電飾
THE YELLOW MONKEYのライブといえばこのバンド名をかたどった大きな電飾。これまで様々なサイズやフォントの形のものが製作され、2017年末のヤフオクドーム公演ではスクリーンに映像で映し出されるなど、時代とともに進化しつづけてきたアイテムでもあります。初期からのスタッフ曰く、これまでいくつの電飾を作ったかもう数え切れないほどだとか。
実はこの電飾、再集結後こそLED電球が使われていますが、活動初期は昔ながらの白熱電球だったため、リハーサルで入念にチェックしていてもすぐにフィラメントが切れてしまい、公演中に「あっ、"T"が欠けてる!」などということもあったそう。
マリーの指輪
1994年にリリースされた3rdアルバム『jaguar hard pain 1944-1994』。そのジャケット写真にも登場するこのイミテーションのエメラルドの指輪は、軍人ジャガーと恋人マリーの物語のキーワードになる重要なアイテムとして登場しました。
軍人ジャガーは真っ赤なツナギの首にネックレスとしてさげており、1998年のライブ「メカラ ウロコ・9」ではアンコールで登場したマリーが右手薬指に嵌めている姿を見ることができます。
カセットテープ
シングルやアルバムのプロモーションの際、ラジオ局やレコードショップなどに配布される「サンプル盤」。
今でこそCDが当たり前ですが、90年代半ばはまだカセットテープが主流でした。
色付きやラメ入りなど、時代とともに目を引く華やかなデザインへと進化していった様子が伺えます。
記念アイテム
新譜がリリースされる際にはさまざまな記念アイテムやノベルティが製作されることが定番でした。
THE YELLOW MONKEYの歴史の中でも、楽曲タイトルや歌詞の内容にかけたアイテム、その年に流行した商品とのコラボレーションなど、工夫を凝らしたグッズが数多く登場しています。
こちらは1997年のシングル「LOVE LOVE SHOW」リリース時に製作されたアイテム。
ハートのピンクッションとソーイングセットがピンクのギフトボックスに収められ、当時のハッピーなムードを感じさせます。
バックステージパス
ライブツアーやイベントで、会場・楽屋などを出入りする関係者が身につける「バックステージパス」。
その時々でデザインや素材、サイズ、名前の表記は変わりますが、中にはちょっとしたいたずら心が光るものも。
たくさんの思い出が詰まったアイテムとして、メンバーもスタッフも長年大切に保管している人が多いようです。
ロンドンブーツ
2019年8月に開催が発表された結成30周年記念ドームツアー「THE YELLOW MONKEY 30th Anniversary DOME TOUR」。
そのアーティスト写真で吉井和哉が着用していたのは、活動初期に幾度となくステージを彩ったロンドンブーツでした。
ヒールには当時の事務所「BOWINMAN MUSIC」のステッカーが貼られ、約30年にわたり大切に保管されてきたこの靴。
デビューイベントのタイトルも「ロンドンブーツナイト」だったTHE YELLOW MONKEYとは、まさに切っても切れないアイテムです。
ちなみに2019年8月6日に渋谷La.mamaで開催された30分30円という超プレミアライブ「Private Gig」で着用していたのは、その思い出深いロンドンブーツをオマージュして新たに製作されたオリジナルブーツ。
シルバーの輝きと高いヒールはそのままに、機能性や動きやすさが加わった“進化版”の一足です。
カセットテープ
2017年の映画「オトトキ」や、「オトトキ」公開記念に伊勢丹新宿店イセタンウエストⅡにて開催された「THE YELLOW MONKEY×ISETAN GALLERY&SHOP」にて披露されたこちら。
活動初期のライブやスタジオでのリハーサル、未公開のデモなど超レアな音源の数々が収録されたこのカセットテープコレクションは、ANNIEこと菊地英二の私物。その数はなんと100本以上にのぼり、スタッフも驚くほどの充実ぶりです。
1989
前任ヴォーカリストの脱退を機に、吉井がギタリストからヴォーカリストに転向。吉井和哉、廣瀬洋一、菊地英二の3人に、英二の実兄である菊地英昭をギタリストに迎え、12月28日に開催されたライヴ・ハウスLa.mamaのイベント“ロンドン・ブーツ・ナイト”から現在のラインナップで本格的に活動を開始する。
LIVE
《ロンドンブーツナイト》
12月28日 - 渋谷・ラ・ママ
12月31日 - 大宮・フリークス
1990
渋谷La.mamaを拠点に、精力的なライヴ活動を行う。11月には関西方面を含む初のツアーを実施。
LIVE
1月 6日 - 渋谷・エッグマン
1月15日 - 目黒・鹿鳴館
1月29日 - 大宮・フリークス
3月11日 - 目黒・LIVE STATION
4月 1日 - 渋谷・ラ・ママ
4月13日 - 横浜・7th AVENUE
4月30日 - 大宮・フリークス
5月11日 - 渋谷・ラ・ママ
6月 5日 - 目黒・LIVE STATION
6月23日 - 渋谷・エッグマン
6月27日 - 渋谷・ラ・ママ
7月 9日 - 目黒・LIVE STATION
7月28日 - 横浜・7th AVENUE
8月 2日 - 新宿・ロフト
8月16日 - 大宮・フリークス
8月28日 - 渋谷・ラ・ママ
9月10日 - 新宿・ロフト
9月27日 - 横浜・7th AVENUE
10月 6日 - 目黒・鹿鳴館
10月29日 - 渋谷・ラ・ママ
《1stTOUR 》
11月11日 - 大宮・フリークス
11月13日 - 京都・BIG BANG
11月14日 - 大阪・難波ロケッツ
11月16日 - 名古屋・ミュージックファーム
11月26日 - 新宿・ロフト
12月 3日 - 横浜・7th AVENUE
《ロンドンブーツナイト》
12月28日 - 渋谷・ラ・ママ
1991
7月21日、インディーズ・レーベルENGINEから初のアルバム「BUNCHED BIRTH」をリリース。これにともない、東京を皮切りに全国13ヵ所を回るCD発売記念ツアーを実施。この年の11月には大阪でもワンマンを行うなど動員も徐々に増え始め、12月には日本コロムビア・TRIADレーベルとの契約を実現させた。
LIVE
1月19日 - 渋谷・ラ・ママ
1月30日 - 大宮・フリークス
2月 8日 - 横浜・7th AVENUE
2月17日 - 新宿・ロフト
《ロンドンブーツナイト》
3月 2日 - BAUS THEATER
3月21日 - 渋谷・ラ・ママ
《ロンドンブーツナイトツアー》
4月 7日 - 名古屋・E.L.L
4月 8日 - 大阪・amホール
4月19日 - 渋谷・ラ・ママ
《CLUB TOKIWAZA》
5月26日 - 浅草・常盤座
5月30日 - 渋谷・ラ・ママ
6月15日 - 渋谷・ラ・ママ
7月 3日 - 大宮・フリークス
《CD発売記念ワンマン》
7月21日 - 渋谷・ラ・ママ
《CD発売記念ツアー》
7月30日 - 大阪・難波ロケッツ
7月31日 - 広島・ウッディーストリート
8月 1日 - 博多・Be-1
8月 2日 - 大分・TOPS
8月 4日 - 大阪・W’OHOL
8月 5日 - 神戸・チキンジョージ
8月 6日 - 京都・BIG BANG
8月 7日 - 名古屋・E.L.L
8月10日 - 本八幡・ROUTE 14
8月18日 - 横浜・7th AVENUE
8月24日 - 川崎・クラブチッタ
8月31日 - 大宮・フリークス
《MARC BOLAN追悼》
9月16日 - 川崎・クラブチッタ
《THE SUBJECTIVE LATE SHOW》
9月21日 - 渋谷・ラ・ママ
10月 9日 - 渋谷・ラ・ママ
10月21日 - 大宮・フリークス
《4thツアー》
11月 7日 - 名古屋・E.L.L
11月 8日 - 大阪・難波ロケッツ
11月16日 - 渋谷・ラ・ママ
12月14日 - 渋谷・ラ・ママ
《ロンドンブーツナイト》
12月28日 - 渋谷・ラ・ママ
12月31日 - 渋谷・ラ・ママ
1992
4月14日に渋谷クラブクアトロでデビュー・コンベンション・ライヴを行った後、5月21日にデビュー・シングル「Romantist Taste」、6月21日にはデビュー・アルバム「THE NIGHT SNAILS AND PLASTIC BOOGIE(夜行性のかたつむり達とプラスチックのブギー)」をリリース。
LIVE
《 TOUR 1992 FIRST 》
3月25日 - 名古屋・E.L.L
3月27日 - 京都・MUSE HALL
3月29日 - 博多・Be-1
3月30日 - 広島・ウッディーストリート
4月 1日 - 大阪・難波ロケッツ
4月 3日 - 大阪・エキスポランド催物ホール
4月14日 - 渋谷・クラブ クアトロ
4月21日 - 大宮・フリークス
《 SELFLOVE CONCOUR 》
5月21日 - 渋谷・ラ・ママ
《 La.mama10周年記念イベント 》
6月20日 - 渋谷公会堂
《 1992 RADICAL HYSTERY TOUR 》
7月22日 - 大阪・amホール
7月24日 - 広島・ウッディーストリート
7月25日 - 博多・Be-1
7月27日 - 名古屋・ELL
7月30日 - 渋谷・ON AIR
《 1992 RADICAL HYSTERY TOUR #2 》
8月 9日 - 金沢・POP HILL’92
8月11日 - 品川・寺田倉庫F号
8月22日 - 大宮・フリークス
8月31日 - 大阪・MODAホール
9月24日 - 市川・CLUB GIO
9月28日 - 横浜・CLUB 24
10月24日 - 東京・日清パワーステーション
10月31日 - 東京・明治学院大学 白金祭
11月 3日 - 名古屋・名城大学 天白祭
11月 4日 - 京都・MUSE HALL
《 PLAY DON'T WORRY“ボインでぶっとばせ!”》
12月24日 - 名古屋・E.L.L
12月26日 - 広島・ウッディーストリート
12月27日 - 博多・Be-1
12月29日 - 大阪・amホール
12月31日 - 渋谷・ラ・ママ
12月31日 - 横浜・ベイサイドクラブ
1993
3月1日には2ndアルバム「EXPERIENCE MOVIE(未公開のエクスペリエンス・ムービー)」をリリース。4月に新宿日清パワーステーションで2度目のワンマンを成功させた後、ツアー・ファイナルとして6月に日本青年館で初のホール・ワンマン“life Time・SCREEN~追憶の銀幕~”を実施(30分でソールド・アウト)。両手首を頭上で棒に縛られた裸の女性2人を従えた衝撃的なオープニングでの演出も話題に。このライヴは、バンドのヒストリーを語る上で外すことのできない一本として映像作品にもなっている。
また、この年の春にメンバーの敬愛するギタリスト、ミック・ロンソンが逝去。翌年からザ・イエロー・モンキー主催の追悼コンサートが開催されるようになり97年まで続く。
LIVE
《 PLAY DON'T WORRY“ボインでぶっとばせ!”》
1月26日 - 東京・日清パワーステーション
《 SATURDAY NIGHT R&R SHOW'93 》
2月20日 - 東京・日清パワーステーション
《 EXPERIENCE MOVIE ROAD SHOW 》
3月23日 - 名古屋・E.L.L
3月25日 - 広島・ウッディーストリート
3月26日 - 長崎・FM長崎サテライトスタジオ「STUDIO M」
3月27日 - 博多・DRUM Be-1
3月29日 - 大阪・W’OHOL
4月 2日 - 仙台・BEEBベースメントシアター
4月 3日 - 仙台・NHK STUDIO
4月 5日 - 札幌・ペニーレイン24
4月 9日 - 東京・日清パワーステーション
《 Life Time・SCREEN ~追憶の銀幕~ 》
6月10日 - 名古屋・クラブ クアトロ
6月11日 - 大阪・W’OHOL
6月19日 - 東京・日本青年館大ホール
《 THREE DOG NIGHT 》
8月 3日 - 東京・日清パワーステーション
8月10日 - 東京・日清パワーステーション
8月17日 - 東京・日清パワーステーション
《 マガジンバトル 》
8月30日 - 渋谷・ON AIR
《マリーの悪戯 》
9月 2日 - 広島・並木ジャンクション
9月 3日 - 博多・Be-1
9月 5日 - 大阪・W’OHOL
9月 6日 - 名古屋・クラブ クアトロ
《 NACK5 GO ROCK 》
10月31日 - 東京・日比谷野外大音楽堂
11月 3日 - 東京・上智大学 ソフィア祭
《 Hello My Lovers“ 蟻地獄で逢いましょう”》
11月20日 - 大阪・W’OHOL
11月21日 - 名古屋・クラブ クアトロ
11月24日 - 東京・中野サンプラザホール
《TVK LIVE GAGA SPECIAL '93 》
12月31日 - 東京・渋谷公会堂
《SECRET MUSICIAN'S PARTY》
12月31日 - 渋谷・ON AIR WEST
1994
3月1日に3rdアルバム「jaguar hard pain 1944-1994」をリリース。"1944年に戦死した男、ジャガーが現代に蘇り恋人マリーを探しさまよう"というアルバム・コンセプトを遂行すべく吉井はヘアスタイルも丸坊主の軍人カットに。春、夏、冬と3本のツアーを通し、一年がかりで"恋人マリーと出会う"というストーリーの結末に向け、シアトリカルなステージを展開。日本のロック・バンドとして独自のスタイルを提示した。また、夏にリリースした4thシングル「熱帯夜」からセールスもライヴ動員に追随する形で伸びていった。
LIVE
《TRIAD SENSATION》
1月26日 - 東京・日清パワーステーション
《TOUR'94“ JAGUAR HARD PAIN”》
3月19日 - 広島・NEOPOLIS HALL
3月21日 - 長崎・ncc&スタジオ
3月22日 - 博多・DRUM Be-1
3月24日 - 大阪・国際交流センター
3月25日 - 名古屋・ダイヤモンドホール
3月29日 - 東京・中野サンプラザホール
3月30日 - 東京・中野サンプラザホール
4月 8日 - 新潟・ジャンクボックス
4月 9日 - 仙台・BEEBベースメントシアター
4月11日 - 青森・クォーター
4月13日 - 札幌・ペニーレーン24
《 LOVE ROCKS'94 》
5月 1日 - 豊田・白浜公園
《 RONSON,PLAY DON'T WORRY IN HEAVEN 》
5月15日 - 東京・日清パワーステーション
《 JT SUPER SOUND'94 PRE CONCERT 》
6月 3日 - 福岡・都久志会館(E)
6月28日 - 札幌・ペニーレーン24(E)
《 JAGUAR HARD PAIN ENCORE TOUR'94 ~つわものどもの熱帯夜 ~ 》
7月17日 - 東京・日比谷野外大音楽堂
7月21日 - 大阪・厚生年金会館中ホール
7月22日 - 名古屋・ダイアモンドホール
7月30日 - 東京・渋谷公会堂
《 L.S.B 》
8月 9日 - 福岡・海ノ中道海浜公園 野外劇場
8月30日 - 大阪・大阪城ホール
《 R&Rオリンピック '94 》
8月21日 仙台・スポーツランドSUGO SP広場
《 BSヤングバトル '94 中国ブロック大会 》
8月28日 - 広島県立総合体育館サブアリーナ
《 FM802 STOP AIDS EDUCATION LEADER CAMPAIGN LIVE FLASH 》
9月25日 - 大阪心斎橋アメリカ村三角公園
《 SATURDAY NIGHT R&R SHOW'94 BRITISH HALOWEEN PARTY 》
10月30日 - 東京・日清パワーステーション
10月23日 - 福岡・九州国際大学 体育館
11月 3日 - 東京・早稲田大学 本部キャンパス15号館401教室
11月 5日 - 東京・駒澤大学 本部記念講堂
11月19日 - 東京・明治薬科大学 田無校 体育館
《JAGUAR HARD PAIN FINAL TOUR'94“I Shall Return!”》
11月 8日 - 広島・NEOPOLIS HALL
11月 9日 - 福岡・都久志会館
11月13日 - 新潟・文化村O-DO
11月15日 - 仙台市民会館小ホール
12月11日 - 札幌・ペニーレーン24
12月13日 - 青森・ラビナホール
12月16日 - 宇都宮市文化会館小ホール
12月17日 - 東京・渋谷公会堂
12月23日 - 大阪サンケイホール
12月24日 - 愛知県勤労会館
12月26日 - 東京・中野サンプラザ
12月27日 - 東京・中野サンプラザ
《 L.S.D.'94 》
12月29日 - 日本武道館
1995
2月1日4thアルバム「smile」をリリース。4月11日には日本武道館で初のワンマン・ライヴを実現。"結果より、どんなことをしてこうなってきたかということの方が大事"と、プロセスに拘りながら成長を遂げてきた彼らは、自分達の思う形で到達したこの場所でバンドの第一期を終結。新たな気持ちで、11月1日リリースの5thアルバム「FOUR SEASONS」で初のロンドン・レコーディングにのぞんだ。年末には大阪城ホール、ファイナルには武道館2DAYSを含む“TOUR ’95 FOR SEASON”を敢行。
LIVE
《 PETTICOAT LANE ONLY LIVE 》
3月19日 - 渋谷・ON AIR EAST
《 TOUR'95“LOVE COMMUNICATION”》
3月21日 - 大阪厚生年金会館大ホール
3月22日 - 広島南区民文化センター
3月23日 - 福岡電気ホール
3月25日 - 長崎ncc&スタジオ
3月28日 - 石川県教育会館
3月29日 - 新潟フェイズ
3月31日 - 仙台市青年文化センター
4月 3日 - 愛知県勤労会館
4月 6日 - 青森市民文化ホール
4月 7日 - 札幌ファクトリーホール
4月11日 - 日本武道館
《 POSITION 》
4月 9日 - 川崎・クラブチッタ
《 RONSON,PLAY DON'T WORRY IN HEAVEN 》
4月29日 - 東京・中野サンプラザホール
《 LOVE ROCKS“THE FINAL WAVE”》
4月30日 - 愛知・豊田市白浜公園特設ステージ
《 MEET THE WORLD BEAT'95 》
7月23日 - 大阪・万国博記念公園もみじ川芝生広場
《 LIVE CLAPPER'95-SWEET KISS- 》
7月26日 - 仙台・サンプラザホール
《 蒜山ロックフェスティバル'95 》
7月30日 - 岡山・蒜山高原三木ヶ原 野外特設ステージ
《 NEW KIDS ON THE ROCKS 》
8月 6日 - 名古屋城深井丸広場
《 POP HILL'95 》
8月12日 - 石川県森林公園 野外特設ステージ
《 EXCITING SUMMER IN WAJIKI'95 》
8月13日 - 徳島・大塚製薬ワジキ工場内 野外ステージ
《 彩の国 秩父ミューズコンサート'95 NACK 5 GO-ROCK 》
8月20日 - 埼玉・秩父ミューズパーク
《 音楽処Z倶楽部 》
8月27日 - 岩手・水沢市文化会館Zホール
《 TOUR'95 SUMMER SPECIAL“真夏の暴走”》
8月15日 - 山梨・富士急ハイランド・コニファーフォレスト
8月31日 - 大阪厚生年金会館大ホール
9月 1日 - 大阪厚生年金会館大ホール
《NHK BS ヤングバトル'95》
9月10日 - 愛知・小牧市市民会館
《“FM RYDERS”Rolling 5 Yearh!~アドレナリン大放出LIVE!~ 》
9月15日 - 長崎市公会堂
9月23日 - 北海道薬科大学 桂青館
10月14日 - 栃木・自治医科大学 体育館
10月29日 - 埼玉・跡見学園女子大学
11月 2日 - 早稲田大学 本部キャンパス構内10号館 109教室
11月 3日 - 神奈川大学 大講堂 横浜キャンパス
11月 4日 - 千葉・明海大学 浦安キャンパス
11月10日 - 群馬県立女子大学 大学講堂
11月11日 - 東京工芸大学 厚木キャンパス
《TOUR'95“FOR SEASON”》
11月24日 - 茨城結城市民文化センター
11月28日 - 新潟テルサ
11月30日 - 金沢市文化ホール
12月 2日 - 秋田県児童会館
12月 4日 - 仙台市民会館大ホール
12月 5日 - 郡山市民文化センター中ホール
12月 6日 - 岩手教育会館
12月 8日 - 福岡市民会館
12月11日 - 長崎市公会堂
12月12日 - 熊本県立劇場演劇ホール
12月14日 - 広島アステールプラザ大ホール
12月15日 - 愛媛県民文化会館サブホール
12月17日 - 大阪城ホール
12月20日 - 札幌市民会館
12月23日 - 名古屋市民会館
12月24日 - 長野県県民文化会館中ホール
12月28日 - 日本武道館
12月29日 - 日本武道館
《 LIVE Di:GA Special 》
12月31日 - 渋谷公会堂
1996
12000人を詰め込んだ全方位開放の日本武道館を皮切りに追加公演“TOUR '96 FOR SEASON”追加公演を1月12日からスタート。この時のステージで初披露された「JAM」は2月に9thシングルとしてリリースされ、80万枚を超えるヒットとなった。5月にはロンドン アストリア2でザ・スパイダース・フロム・マーズ(故ミック・ロンソンが在籍)をスペシャルゲストに迎えライヴを実施。帰国後間もなく始まった、約 2ヵ月半で日本全国40ヵ所(計43公演)を回るツアー“FOR SEASON~野性の証明~”ではトータルで9万人を動員。ツアー終了後、バンドは日本コロムビアを離れファンハウス(現アリオラジャパン)へ移籍。移籍第1弾として11月に11thシングル「楽園」をリリース。12月21日にはファンの要望に応え、インディーズ盤「BUNCHED BIRTH」を再発。
また、バンドの誕生日でもある12月28日に、武道館で“メカラ ウロコ・7”と題した公演を行う。「smile」以前のアルバムからのナンバーを中心に演奏。過去の演出(オープニングは93年の青年館)をスケール・アップした形で再構築して見せた。
LIVE
《TOUR'96“FOR SEASON”》
1月12日 - 日本武道館
1月18日 - 静岡市民文化会館中ホール
1月20日 - 名古屋市民会館
1月22日 - 仙台市民会館大ホール
1月25日 - 岡山市民会館
1月28日 - 神戸国際会館ハーバーランドプラザホール
《「吉井和哉のオールナイトニッポン」プレゼンツ THE YELLOW MONKEY~震災復興コンサートin北淡町~》
1月15日 - 北淡町立富島小学校体育館
《THE STREET SLIDERS Vs,》
1月23日 - 東京・日清パワーステーション
《 SATURDAY NIGHT R&R SHOW'96“LIVE Y SPECIAL”》
4月21日 - 東京・日清パワーステーション
《 RONSON,PLAY DON'T WORRY IN HEAVEN 》
4月30日 - 川崎クラブチッタ
《TOUR'96 FOR SEASON“野性の証明”》
5月17日 - 埼玉・戸田市文化会館
5月19日 - 鹿児島市民文化ホール第一
5月20日 - 宮崎市民会館
5月21日 - 熊本市民会館
5月23日 - 長崎市公会堂
5月24日 - 山口・スターピアくだまつ
5月26日 - 神奈川県民ホール
5月27日 - 千葉・市川市文化会館
5月29日 - 神戸国際会館ハーバーランドプラザホール
5月31日 - 三重・四日市市文化会館
6月 1日 - 岐阜・長良川国際会議場
6月 3日 - 滋賀・守山市民ホール
6月 4日 - 京都会館 第一ホール
6月 6日 - 群馬県民会館
6月 7日 - 新潟県民会館
6月 9日 - 石川厚生年金会館
6月11日 - 栃木・宇都宮市文化会館
6月12日 - 福島・郡山市民文化センター
6月15日 - 福岡サンパレス
6月18日 - 山形県県民会館
6月19日 - 秋田県民会館
6月21日 - 岩手県民会館
6月23日 - 北海道 旭川市民文化会館
6月24日 - 北海道厚生年金会館
6月26日 - 仙台サンプラザホール
6月28日 - 青森市文化会館
7月 1日 - 東京・北とぴあ さくらホール
7月 2日 - 大宮ソニックシティ
7月 4日 - 高松市民会館
7月 5日 - 松山市民会館
7月 7日 - 高知県民文化ホール
7月 8日 - 徳島市文化センター
7月10日 - 広島郵便貯金ホール
7月11日 - 岡山市民会館
7月13日 - 八王子市民会館
7月17日 - 名古屋国際会議場センチュリーホール
7月18日 - 名古屋国際会議場センチュリーホール
7月20日 - NHKホール
7月21日 - NHKホール
7月24日 - 大阪厚生年金会館
7月25日 - 大阪厚生年金会館
7月27日 - 長野県県民文化会館
7月30日 - 静岡市民文化会館
《メカラ ウロコ・7》
12月28日 - 日本武道館
1997
2度目のロンドン・レコーディングによる6枚目のアルバム「SICKS」を1月にリリース。そのクオリティの高さから、日本のロックのマスターピースと評される。2月からは鹿児島、盛岡などを含む計14ヵ所20公演(15万人動員)を回る初のアリーナ・ツアー“FIX THE SICKS”に突入。7月にリリースされた13thシングル「BURN」は90万枚を超えるヒットとなる。また、8月から行なわれたスタジアムを含む全国5会場での“TOUR'97~紫の炎~”では、4万人近いキャパシティーを軒並みソールド・アウトにした。
この夏には、大規模な野外ロック・フェスの先駆けともなる“FUJI ROCK FESTIVAL '97”に出演。レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン、フー・ファイターズなどと共演する。また、主催者側からの要請でミック・ロンソンの生まれ故郷イギリスの"ハル"で行われた追悼コンサートにも出演(共演:イアン・ハンター、ジョー・エリオットなど)。同時期に「BURN」のカップリング「LOVE LOVE SHOW(英語ヴァージョン)」を追加収録した「SICKS」が、UKで初めてリリースされた。
11月から12月にかけては、「SPARK」以降彼らのビデオクリップを撮り続けてきた高橋栄樹監督による映像作品「BLUE FILM」と、夏に訪れたイギリスでのイベントや西宮球場でのライヴ映像などを収めた「RED TAPE」をリリース。バンドはニュー・アルバムのレコーディングのため、11月に再度渡英した。
LIVE
《ARENA TOUR'97 “FIX THE SICKS”》
2月21日 - 長野・松本市総合体育館
2月27日 - 日本武道館
2月28日 - 日本武道館
3月11日 - 広島サンプラザホール
3月14日 - 香川・高松市総合体育館
3月19日 - 仙台市体育館
3月20日 - 仙台市体育館
3月25日 - 新潟産業センター
3月29日 - 福岡国際センター
3月30日 - 福岡国際センター
4月 2日 - 鹿児島アリーナ
4月10日 - 北海道・月寒グリーンドーム
4月16日 - 岩手・盛岡市アイスアリーナ
4月19日 - 静岡・浜松アリーナ
5月 2日 - 名古屋市総合体育館レインボーホール
5月 3日 - 名古屋市総合体育館レインボーホール
5月 7日 - 横浜アリーナ
5月 8日 - 横浜アリーナ
5月12日 - 大阪城ホール
5月13日 - 大阪城ホール
《FUJI ROCK FESTIVAL'97》
7月26日 - 山梨・富士天神山スキー場
《THE MICK RONSON MEMORIAL Ⅱ》
8月 9日 - HULL ARENA,KINGSTON PARK,HULL
8月10日 - QUEENS GARDENS,HULL
8月12日 - LONDON ASTORIA
《TOUR'97 ~紫の炎~》
8月23日 - 宮城・国営みちのく杜の湖畔公園 湖畔のひろば
8月30日 - 福岡・マリノア
9月 7日 - 埼玉・西武球場
9月14日 - 兵庫・阪急西宮スタジアム
9月23日 - 愛知・ポートメッセ名古屋(名古屋市国際展示場)特設ステージ
1998
年明けと共に14thシングル「球根」(2月4日)と、7thアルバム「PUNCH DRUNKARD」(3月4日)のリリースを発表。共にオリコン・チャートの1位を獲得。アルバム・リリース後の4月からはホール72本、アリーナ41本、計113本を一年がかりで回る“PUNCH DRUNKARD TOUR 1998/99”に突入した。また7月上旬にはシングル「SUGAR FIX」(『甘い経験』の英語ヴァージョン、Track2には『球根』の英語ヴァージョン「BULB」を収録)、アルバム「PUNCH DRUNKARD」(「SUGAR FIX」収録)をUKでリリースすると共に、同7月に現地でライヴを敢行。そしてロング・ツアーがホールからアリーナへと切り替わった時点でセットリストに組み込まれた「MY WINDING ROAD」を10月21日に17thシングルとしてリリース。12月28日には、苛酷なツアーの合間を縫って、武道館で“メカラ ウロコ・9”を実施。この日初披露された「SO YOUNG」は引き続きツアー本編でも演奏され、翌年の3月3日には18thシングルとしてリリースされた。
LIVE
《PUNCH DRUNKARD TOUR “あしたのショー”》
3月27日 - 東京・赤坂BLITZ
《PUNCH DRUNKARD TOUR 1998/99》
4月 3日 - 埼玉・戸田市文化会館
4月 5日 - 福島・郡山市民文化センター
4月 6日 - 山形県県民会館
4月 8日 - 秋田県民会館
4月10日 - 青森市文化会館
4月11日 - 青森市文化会館
4月13日 - 岩手県民会館
4月14日 - 岩手県民会館
4月17日 - 北海道・函館市民会館
4月19日 - 北海道・室蘭市文化センター
4月21日 - 北海道厚生年金会館
4月22日 - 北海道厚生年金会館
4月24日 - 北海道・北見市民会館
4月25日 - 北海道・釧路市民文化会館
4月28日 - 宮城・仙台サンプラザホール
4月29日 - 宮城・仙台サンプラザホール
5月 1日 - 神奈川県民ホール
5月 2日 - 神奈川県民ホール
5月 4日 - 栃木・宇都宮市文化会館
5月 6日 - 富山オーバードホール
5月 8日 - 新潟県民会館
5月 9日 - 新潟県民会館
5月11日 - 石川厚生年金会館
5月12日 - 福井フェニックスプラザ
5月14日 - 千葉県文化会館
5月15日 - 茨城県民文化センター
5月18日 - 群馬県民会館
5月26日 - 埼玉・大宮ソニックシティ
5月28日 - 山梨県立県民文化ホール
5月29日 - 長野県県民文化会館
6月 2日 - 大分文化会館
6月 4日 - 福岡サンパレス
6月 5日 - 福岡サンパレス
6月 7日 - 長崎市公会堂
6月 9日 - 熊本市民会館
6月10日 - 宮崎市民文化ホール
6月11日 - 佐賀市文化会館
6月13日 - 鹿児島市民文化ホール第一
6月14日 - 鹿児島市民文化ホール第一
6月17日 - 沖縄コンベンション劇場
6月18日 - 沖縄コンベンション劇場
6月24日 - 京都会館第一ホール
6月25日 - 滋賀・守山市民ホール
6月29日 - 静岡・富士市文化会館ロゼシアター
6月30日 - 三重・四日市市文化会館
7月 2日 - 和歌山県民文化会館
7月 3日 - 奈良県文化会館国際ホール
7月 5日 - 岐阜・長良川国際会議場
7月 7日 - 愛知・豊橋勤労福祉会館
7月 8日 - 静岡市民文化会館
7月10日 - 大阪・フェスティバルホール
7月13日 - 兵庫・神戸国際会館ハーバーランドプラザ
7月14日 - 兵庫・神戸国際会館ハーバーランドプラザ
9月 1日 - 広島厚生年金会館
9月 2日 - 広島厚生年金会館
9月 4日 - 島根県民会館
9月 5日 - 鳥取県民文化会館
9月 7日 - 山口・徳山市文化会館
9月 9日 - 香川県県民ホール
9月10日 - 香川県県民ホール
9月12日 - 徳島・鳴門市文化会館
9月14日 - 高知県民文化ホール
9月15日 - 愛媛県民文化会館
9月18日 - 大阪・フェスティバルホール
9月19日 - 大阪・フェスティバルホール
9月23日 - 東京・NHKホール
9月24日 - 東京・NHKホール
9月26日 - 東京・NHKホール
9月27日 - 東京・NHKホール
10月 1日 - 名古屋国際会議場センチュリーホール
10月 2日 - 名古屋国際会議場センチュリーホール
10月 6日 - 岡山市民会館
10月23日 - 静岡・浜松アリーナ
10月24日 - 静岡・浜松アリーナ
10月29日 - 北海道・真駒内アイスアリーナ
10月30日 - 北海道・真駒内アイスアリーナ
11月 3日 - アピオ岩手産業文化センター
11月 4日 - アピオ岩手産業文化センター
11月 7日 - 山形市総合スポーツセンター
11月 8日 - 山形市総合スポーツセンター
11月12日 - 石川産業展示館4号館
11月13日 - 石川産業展示館4号館
11月20日 - 長野ビッグハット
11月21日 - 長野ビッグハット
11月24日 - 新潟産業センター
11月25日 - 新潟産業センター
12月26日 - 日本武道館
12月27日 - 日本武道館
《THE YELLOW MONKEY UK TOUR》
7月18日 - NOTTINGHAM ROCK CITY (THE RIG), NOTTINGHAM
7月20日 - LONDON ASTORIA, LONDON
《メカラ ウロコ・9》
12月28日 - 日本武道館
1999
3月6,7,9,10日の横浜アリーナ4DAYSで、延べ55万人を動員した“PUNCH DRUNKARD TOUR 1998/99”を終了。バンドは数か月の休養期間へ。その休み明け第1弾として12月8日にリリースした19thシングル「バラ色の日々」では、共同プロデューサー(朝本浩文、笹路正徳)を立てて作業を行うなど、あらゆる面で実験的にバンドに新たな血を導入。また、年末の12月28日には“メカラ ウロコ・10”を実施。ホーム・グラウンドとも言える武道館でファンと共にバンド結成10周年を迎えた。
LIVE
《PUNCH DRUNKARD TOUR 1998/99》
1月 9日 - 群馬・グリーンドーム前橋
1月10日 - 群馬・グリーンドーム前橋
1月13日 - 宮城・グランディ・21 県総合体育館
1月14日 - 宮城・グランディ・21 県総合体育館
1月20日 - 名古屋市総合体育館レインボーホール
1月21日 - 名古屋市総合体育館レインボーホール
1月23日 - 名古屋市総合体育館レインボーホール
1月29日 - マリンメッセ福岡
1月30日 - マリンメッセ福岡
2月 2日 - 大阪城ホール
2月 3日 - 大阪城ホール
2月 5日 - 大阪城ホール
2月 6日 - 大阪城ホール
2月 9日 - 徳島・アスティとくしま
2月14日 - 広島グリーンアリーナ
2月17日 - マリンメッセ福岡
2月18日 - マリンメッセ福岡
2月22日 - 鹿児島アリーナ
2月23日 - 鹿児島アリーナ
2月27日 - 沖縄コンベンションセンター
2月28日 - 沖縄コンベンションセンター
3月 6日 - 横浜アリーナ
3月 7日 - 横浜アリーナ
3月 9日 - 横浜アリーナ
3月 10日 - 横浜アリーナ
《メカラ ウロコ・10》
12月28日 - 日本武道館
《Petticoat Laner de 公演》
12月29日 - 日本武道館道館
2000
1月26日に20thシングル「聖なる海とサンシャイン」をリリース。本作には吉井を含む4人のリミキサーによるリミックス·ヴァージョンも収録。そして4月5日にはプロデューサーとのコラボレイト·シリーズ第3弾の21stシングル「SHOCK HEARTS」を発売。ジャケットは永井豪。その後4月8日の名古屋レインボーホールを皮切りに、計10本のアリーナ·ツアー“SPRING TOUR”をスタートさせる。アルバム発売時のツアーと異なり、『バラ色の日々』など既発の新曲に加えて過去のナンバーもふんだんに織り込んだ選曲だった。このツアー終了の5日後には、日大のキャンパスで3曲のみのゲリラ·ライヴを敢行。7月12日リリースの22ndシングル「パール」も、ここで初披露された。その後、7月26日には2年5ヵ月ぶり8枚目となるアルバム「8」を発売(オリコン初登場2位)。東京、ロンドンで計7ヵ所のスタジオを使用し、国内外の複数のプロデューサーやエンジニアとの作業を通し約一年がかりでレコーディングした計14曲を、最終的には吉井のトータル·プロデュースで一枚に集約した。このアルバムに関してはツアーを行なわず、8月に金沢の“POP HILL 2000”、茨城の“ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2000”の2本のみに出演。
2月にロンドンでレコーディングしていた楽曲「BRILLIANT WORLD」を、11月1日に23rdシングルとしてリリース。
11月15日、各マスコミに対し、翌年1月4日の大阪ドーム、1月8日の東京ドームでの公演“メカラ ウロコ·8”終了後バンドとしての活動を一旦休止し、メンバー各自充電期間に入ることを発表する。
LIVE
《SPRING TOUR》
4月 8日 - 名古屋市総合体育館レインボーホール
4月 9日 - 名古屋市総合体育館レインボーホール
4月15日 - 大阪城ホール
4月16日 - 大阪城ホール
4月19日 - マリンメッセ福岡
4月20日 - マリンメッセ福岡
4月28日 - 札幌·月寒グリーンドーム
4月29日 - 札幌·月寒グリーンドーム
5月 9日 - 横浜アリーナ
5月10日 - 横浜アリーナ
5月15日 - 日本大学文理学部(ゲリラ ライヴ)
《KIT POP HILL 2000》
8月 6日 - 石川県森林公園 緑化の広場
《ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2000》
8月13日 - 茨城県国営ひたち海浜公園
2001
1月4日の大阪ドーム、1月8日の東京ドームでの公演“メカラ ウロコ·8”を終え、バンドは予告通り活動を休止。そして休止後の1月31日に24thシングル「プライマル。」(PRIMAL:最初の、原点回帰の意)をリリース。前年9月にレコーディングされていたこの作品では、デヴィッド·ボウイ、T·レックスなどを手掛けた70年代グラム·ロック·ムーブメントの立役者、トニー·ヴィスコンティーを共同プロデューサーに起用。彼等のルーツ·ミュージックの一つであるグラム·ロックのテイストが色濃く出た原点回帰的な楽曲で、バンドにとって大きな節目となるこの時期にひとつの区切りをつけた。
LIVE
《メカラ ウロコ・8》
1月 4日 - 大阪ドーム
1月 8日 - 東京ドーム
2004
8月に、ファンクラブとホームページで2004年7月7日付けでの解散を発表。その後12月26日の東京ドームなど全国10ヵ所でバンドのヒストリー·ビデオや衣装·楽器など公開·展示する“THE EXHIBITION AND VIDEO FESTIVAL OF THE YELLOW MONKEY メカラ ウロコ·15”の開催を告知した。
初のメンバー監修によるバンドの15年間を総括するベスト盤「MOTHER OF ALL THE BEST」、全シングルのビデオクリップを収めた「THE YELLOW MONKEY CLIP BOX」、これまでにリリースした全てのライヴ映像を網羅した「THE YELLOW MONKEY LIVE BOX」を12月8日に、最後のライヴとなった2001年1月8日の東京ドーム公演“メカラ ウロコ·8”を完全収録した映像作品「THE YELLOW MONKEY LIVE AT TOKYO DOME」を12月28日にリリース。
LIVE
《Petticoat Lane PRESENTS THE EXHIBITION AND VIDEO FESTIVAL OF THE YELLOW MONKEY メカラ ウロコ・15》
12月10日 - 岩手県民会館
12月11日 - 仙台サンプラザホール
12月13日 - 札幌市民会館
12月15日 - アステールプラザ 大ホール
12月16日 - 福岡サンパレス
12月18日 - 新潟県民会館 大ホール
12月20日 - 松山市民会館
12月21日 - 大阪厚生年金会館 大ホール
12月22日 - 愛知県勤労会館
12月26日 - 東京ドーム
2010
1月22日、結成20周年記念企画第3弾として、6thアルバム「SICKS」の完全版である「COMPLETE SICKS」をリリース。「SICKS」のデジタルリマスタリング·Blu-spec CD盤、デモ音源を収録したCD、レコーディング風景など秘蔵映像を収録した豪華3枚組仕様での発売となる。7月、結成20周年記念企画の一環で、ユニクロとのコラボレーションTシャツを発売。
2012
メジャーデビューから20年となる5月21日、バンドの全アルバムとミュージック·ビデオを一斉配信することを発表。10月10日には、デビューシングル“Romantist Taste”を新たにリアンプし、カップリングに12曲のライブテイクを収録した「Romantist Taste 2012」を初回生産限定シングルとしてリリース(オリコン初登場5位)。10月21日、1996年に発売されたライブ映像作品「TRUE MIND TOUR'95-'96 FOR SEASON:in motion」の完全版となる5枚組作品「TRUE MIND “NAKED”」を発売。11月23日~12月16日、タワーレコード渋谷店の8Fイベントスペースにてコラボレーション展示企画「タワモン」を開催。12月3日、1997年に発売されたライブ作品「RED TAPE」の完全盤DVD「RED TAPE "NAKED"」を発売。
2013
7月31日、ファン投票で収録曲が決定したベストアルバム『イエモン-FAN'S BEST SELECTION-』を発売(オリコン初登場2位)。9月28日、「PUNCH DRUNKARD TOUR」のツアードキュメント映像作品『劇場版 パンドラ ザ·イエロー·モンキー PUNCH DRUNKARD TOUR THE MOVIE』公開。劇場内にはこの為に撮り下ろしされた4人の姿も収録されている。12月4日、『劇場版 パンドラ ザ·イエロー·モンキー PUNCH DRUNKARD TOUR THE MOVIE』のDVD/Blu-ray発売、そして全オリジナル·アルバム、ベスト·アルバムのリマスター盤をBlu-spec CD2にて再発売。
2016
1月8日、“THE YELLOW MONKEY SUPER JAPAN TOUR 2016”と題した全国アリーナツアーを発表。
同時にオフィシャルファンクラブを発足する。2月12日にはツアーに先駆けて新曲「ALRIGHT」を発表。夏には野外フェス“ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2016” “SUMMER SONIC 2016”に参加。10月19日、15年ぶりのシングルとなる『砂の塔』を発売。同時発売の全国アリーナツアーDVDと共に、オリコンCDシングル・DVD・Blu-rayランキングそれぞれで1位を獲得。全国16ヶ所を回るホールツアーを経て、12月28日には“メカラ ウロコ・27”を日本武道館にて開催。また大晦日にはバンド初となるNHK紅白歌合戦へ出場し「JAM」を演奏する。
LIVE
《THE YELLOW MONKEY SUPER JAPAN TOUR 2016》
5月11日 - 東京・国立代々木競技場 第一体育館
5月12日 - 東京・国立代々木競技場 第一体育館
5月28日 - 長野・ビッグハット
5月29日 - 長野・ビッグハット
6月11日 - 広島・広島グリーンアリーナ
6月12日 - 広島・広島グリーンアリーナ
6月18日 - 宮城・宮城セキスイハイムスーパーアリーナ
6月19日 - 宮城・宮城セキスイハイムスーパーアリーナ
6月28日 - 愛知・日本ガイシホール
6月29日 - 愛知・日本ガイシホール
7月05日 - 大阪・大阪城ホール
7月06日 - 大阪・大阪城ホール
7月09日 - 埼玉・さいたまスーパーアリーナ
7月10日 - 埼玉・さいたまスーパーアリーナ
7月16日 - 福岡・マリンメッセ福岡
7月17日 - 岡・マリンメッセ福岡
7月26日 - 兵庫・神戸ワールド記念ホール
7月27日 - 兵庫・神戸ワールド記念ホール
9月10日 - 北海道・真駒内セキスイハイムアイスアリーナ
9月11日 - 北海道・真駒内セキスイハイムアイスアリーナ
《THE YELLOW MONKEY SUPER JAPAN TOUR 2016 -YOKOHAMA SPECIAL-》
8月02日 - 神奈川・横浜アリーナ
8月03日 - 神奈川・横浜アリーナ
《ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2016》
8月13日 - 国営ひたち海浜公園
《SUMMER SONIC 2016》
8月20日 - 舞洲サマーソニック大阪特設会場
8月21日 - QVCマリンフィールド&幕張メッセ
《THE YELLOW MONKEY SUPER JAPAN TOUR 2016 SPECIAL -ARE YOU A BELIEVER?-》
8月27日 - 福島・あづま総合体育館
8月28日 - 福島・あづま総合体育館
《THE YELLOW MONKEY SUPER JAPAN TOUR 2016 -KUMAMOTO SPECIAL》
9月01日 - 熊本・B.9 V1
《THE YELLOW MONKEY SUPER JAPAN TOUR 2016 -SUBJECTIVE LATE SHOW-》
11月12日 - 千葉・松戸森のホール21
11月15日 - 秋田・秋田県民会館
11月18日 - 静岡・静岡市民文化会館 大ホール
11月19日 - 山梨・コラニー文化ホール 大ホール
11月21日 - 群馬・ベイシア文化ホール 大ホール
11月24日 - 岩手・岩手県民会館 大ホール
11月25日 - 青森・リンクステーションホール青森
11月28日 - 京都・ロームシアター京都 メインホール
11月30日 - 石川・本多の森ホール
12月02日 - 新潟・新潟県民会館
12月07日 - 富山・オーバード・ホール
12月09日 - 長崎・長崎ブリックホール 大ホール
12月10日 - 大分・iichikoグランシアタ
12月12日 - 鹿児島・鹿児島市民文化ホール 第1ホール
12月14日 - 愛媛・ひめぎんホール メインホール
12月18日 - 岡山・倉敷市民会館
《THE YELLOW MONKEY SUPER メカラ ウロコ・27》
12月28日 - 日本武道館
《COUNTDOWN JAPAN 16/17》
12月31日 - 幕張メッセ国際展示場1~11ホール、イベントホール
2017
5月21日、デビュー25周年となる日にベスト・アルバム『イエモン-FAN'S BEST SELECTION-』の全曲を新録した『THE YELLOW MONKEY IS HERE. NEW BEST』を発売(オリコン初登場1位)。ファンクラブの名称を「BELIEVER.」と改め、秋にはFCツアー“THE YELLOW MONKEY SUPER FC PARTY -DRASTIC HOLIDAY-”を開催する。また9月からは3ヶ月連続配信リリースとして、デヴィッド・ボウイのカバーである『ZIGGY STARDUST』、新曲『Stars』、そして11月に公開されたイエローモンキーのドキュメンタリー映画 『オトトキ』主題歌である『Horizon』を発表。12月には17年ぶりの東京ドーム公演となる“THE YELLOW MONKEY SUPER BIG EGG 2017”を行い、二日間で10万人を動員する。また12月28日には恒例のメカラ ウロコ公演を“メカラ ウロコ・28 -九州SPECIAL-”として福岡 ヤフオク!ドームで開催。
LIVE
《THE YELLOW MONKEY SUPER FC PARTY 2017 -DRASTIC HOLIDAY-》
10月01日 - 北海道・釧路市民文化会館 大ホール
10月08日 - 滋賀・滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール 大ホール
10月09日 - 鳥取・米子コンベンションセンター
10月15日 - 沖縄・ミュージックタウン音市場
10月22日 - 香川・レクザムホール(香川県県民ホール) 大ホール
10月29日 - 山形・やまぎんホール
11月03日 - 和歌山・和歌山県民文化会館 大ホール
11月05日 - 三重・三重県文化センター 大ホール
《THE YELLOW MONKEY SUPER BIG EGG 2017》
12月09日 - 東京ドーム
12月10日 - 東京ドーム
《THE YELLOW MONKEY SUPER メカラ ウロコ・28 -九州SPECIAL-》
12月28日 - 福岡 ヤフオク!ドーム
2018
10月1日、ATLANTIC/Warner Music Japanとタッグを新たに組むことを発表。世界5ヶ国(渋谷・ニューヨーク・上海・香港・ロンドン)の街頭ビジョンにてティザー映像が同時放映され話題を呼ぶ。
11月9日には『Horizon』以来、約1年ぶりとなる新曲『天道虫』を配信リリースし、iTunesランキング1位を獲得。また全シングル・オリジナルアルバムのサブストリーミング配信を全世界で解禁。12月28日、バンド結成日恒例の年末特別公演“THE YELLOW MONKEY SUPER メカラ ウロコ・29 -FINAL-”で新曲『天道虫』『I don’t know』を初披露。
LIVE
《THE YELLOW MONKEY SUPER メカラ ウロコ・29 -FINAL-》
12月28日 - 日本武道館
2019
2019年1月、先行配信シングル『I don’t know』リリースを経て、来たる4月17日に19年ぶり9枚目となるオリジナル・アルバム『9999』をリリース。2019/4/29付オリコン週間デジタルアルバムランキング、iTunes、レコチョク、Billboard JAPAN Chartで1位を獲得しデジタルランキング4冠を達成。同作を携え開催した全国アリーナツアー“THE YELLOW MONKEY SUPER JAPAN TOUR 2019 -GRATEFUL SPOONFUL-”は4種類の異なるセットリストが話題となり、全27公演で20万人を動員。そして、結成30周年を迎えた2019年12月28日のナゴヤドーム公演を皮切りに、バンドのキャリア史上最大規模となる初の東名阪4公演ドームツアーが開幕。
LIVE
《THE YELLOW MONKEY 9th Album『9999』世界最速先行試聴会》
3月28日 - 日本武道館
《THE YELLOW MONKEY SUPER JAPAN TOUR 2019 -GRATEFUL SPOONFUL-》
4月27日 - 静岡・エコパアリーナ
4月28日 - 静岡・エコパアリーナ
5月11日 - 北海道・北海道立総合体育センター 北海きたえーる
5月12日 - 北海道・北海道立総合体育センター 北海きたえーる
5月25日 - 福井・サンドーム福井
6月07日 - 大阪・大阪城ホール
6月08日 - 大阪・大阪城ホール
6月11日 - 神奈川・横浜アリーナ
6月12日 - 神奈川・横浜アリーナ
6月29日 - 秋田・秋田県立体育館
7月06日 - 埼玉・さいたまスーパーアリーナ
7月07日 - 埼玉・さいたまスーパーアリーナ
7月13日 - 福岡・マリンメッセ福岡
7月14日 - 福岡・マリンメッセ福岡
7月20日 - 広島・広島グリーンアリーナ
7月21日 - 広島・広島グリーンアリーナ
8月03日 - 宮城・宮城・セキスイハイムスーパーアリーナ
8月04日 - 宮城・宮城・セキスイハイムスーパーアリーナ
8月08日 - 東京・日本武道館
8月09日 - 東京・日本武道館
8月26日 - 兵庫・神戸ワールド記念ホール
8月27日 - 兵庫・神戸ワールド記念ホール
9月03日 - 徳島・アスティとくしま
9月14日 - 福島・あづま総合体育館
9月15日 - 福島・あづま総合体育館
9月21日 - 熊本・グランメッセ熊本
9月22日 - 熊本・グランメッセ熊本
2020
3月13日、ファンクラブ会員向けに発表されていた楽曲『未来はみないで』をデジタルシングルとしてリリース。4月、2019年12月28日のナゴヤドーム公演を皮切りに開催されていたドームツアーのファイナル・東京ドーム2daysが、新型コロナウイルスの影響により見送りになる。それに替わる新規公演として、11月3日より東京ドーム、横浜アリーナ、国立代々木競技場、日本武道館での4公演を開催した。
LIVE
《THE YELLOW MONKEY 30th Anniversary DOME TOUR》
2月11日 - 大阪・京セラドーム大阪
4月04日 - 東京ドーム(中止)
4月05日 - 東京ドーム(中止)
《THE YELLOW MONKEY 30th Anniversary LIVE》
11月03日 - 東京ドーム
11月07日 - 神奈川・横浜アリーナ
12月07日 - 東京・国立代々木競技場 第一体育館
12月28日 - 日本武道館
BELIEVER.さん
当時すごく気に入っていたネイルの写真を発見。
BELIEVER.の皆さんから
の投稿写真を掲載!
BELIEVER.の皆さんからの投稿コメントを掲載!